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descente‐降臨‐ 第四話

「ん、んん……。眠っちゃったみたい……ごめんね、お兄ちゃん」
しかし、寄りかかっていた兄は居ない。兄の温もりはとうに消えている。眠る前に感じていた冷たい空気はない。なのにどこか物足りなさがあるのはそっと体にかけてくれていた上着の感触がなくなってるからだろう。天気予報では夜は今年一番の冷え込みが予想されていた。だが、寒くはない。
「あっ! お母さんの誕生日プレゼント! やだ、落しちゃったの?」
握りしめていたはずの母へのプレゼントがない。美月は焦りながらあたりを見回すが、影も形もない。
「っていうか、ここ、どこ……?」
兄と真矢の二人が居ない。それどころか、自分が奇妙な場所にいる事に美月は気が付いた。
「お兄ちゃん? 真矢先輩? どこにいるの」
美月は混乱しながら二人の名を呼ぶ。だが、答えは返っては来なかった。部屋を閉ざす扉の前に立った美月は扉を押す。だが、扉はびくともしない。鍵がかかっているのだ。
「閉じ込められたの? 私」
美月は震えながら部屋を見回る。禍々しくも美しい部屋だ。洞窟部屋というべきだろうか。淡い、儚い水色の部屋にはいくつかの小物が置かれている。美月はとりわけ存在感を放つ剣のそばに寄った。
「これは何? 綺麗……」
美月はうっとりと剣を見詰めた。華奢な剣は宝石で出来ているかのように神秘の光を湛えている。およそ博物館でも美術館でも目にする事は難しい高貴な剣だ。いにしえの皇帝や異教の寺院が、その権威を誇示し、あるいは神意を得るための儀式に用いるようなものだろう。とても俗人が手に持っていいようなものではない。
剣の発する磁力のような何かに引き寄せられて美月はおそるおそる剣を手に取った。武器など持った事はない。なのに剣は重さを感じさせず、それどころかあたかも最初から彼女の持ち物でもあったかのように手になじんだ。
「この剣はただの飾りの剣じゃない……。私の、中の、何かが、………」
儚く美しい光が剣を通じて彼女の奥から現出する。それは力となって美月を覆う。
美月は半ば恍惚となりながら剣の模様を見る。
「この剣に描かれているのはアタボール・ヴィタエ……生命の樹」
注意深く美月は剣を観察し、その意匠を読み取ろうと苦心する。
「この剣は魔術の剣なのね。でも、こんな事が本当にあるなんて」
知識で得ていた物とはちがう。だが、これは夢の中ではない事だけは分かる。これは現実であり、そしてここには真の〝魔術〟が実態を伴い存在するのだ。美月は剣を軽く振ってみる。
「分かる……この剣の使い方が……。ああ。この剣は私の魂のかたちを力として引き出すもの。でも、ここに私を閉じ込めた誰かはこんな物をここに置いて私に何をさせようというの? ここは何の場所なの?」
あのとても気持ちの良い眠気はここに自分たちを誘拐するための催眠ガスのようなものだったのかもしれない。そして連れてこられた部屋に魔剣。扉は閉ざされ、一人きりで監禁されている。とてもただ事ではない。だが、美月の恐怖は好奇心の前に道を譲った。美月は意図しないままに剣を携えたまま部屋を見回った。
蒼白い洞窟部屋は監禁部屋というにも牢獄というにも美しすぎた。剣を収めた台座の他にも妖しい、魔法的な何かがいくつも見て取れる。美月はその一つに近寄った。
「魔法円……これは召喚の円……」
美月は慎重に魔法円を観察する。おどろおどろしい魔法円が紅い色で描いてある。真矢が見たら眉を潜めそうだ。クラスメイトや兄でも同じだろう。だが、美月は違った。この模様が何を意味するか知っているからだ。
文字のような絵のような何かが円陣の中に描かれ、その隣には動物の尻尾のような絵。これはいわゆる大悪魔を召喚するための魔法円と知れた。
美月は手もとの本を取り出す。そしてそのページを開き余白に魔法陣を書き写した。
美月はオカルトと魔術を趣味とするが、それは決してゲームや漫画の描写の受け売りだけではない。その知識と好奇心は同じ年ごろの、非日常としての幻想や狂気に憧れる少女たちとは一線を画しているのだ。それゆえ彼女の嗜好は同級生からはなかなか受け入れ難く、大人たちからは誤解を受けやすく、美月の大人しい性格もあってか理解者は少ない。
揶揄する事なく受け入れてくれたのは賢吾。そして理解しないながらも決して否定はしない真矢。その二人だけだった。

美月はチョーカーの飾りを握りしめる。兄とおそろいの、黒い革の先についた円に刻まれているのは魔法護符。これは市販の品でしかない。が、今だけはこの護符の魔術的意匠が効果を発揮する事を期待するしかなかった。
美月は品々を検分し、推理する。
これは通常の誘拐事件ではない。おそらくここはカルト宗教のアジトであり、自分たちはなんらかの魔術儀式の為に連れてこられたのだ。
すさまじく嫌な予感がする。魔術儀式に必要なものといえば生贄だろう。呼びだそうとしているのは高位悪魔。だからその代償は安くはない。生命。血。苦痛。幸福。どれを奪い捧げる気なのだろうか。
「う、何これ……」
鍵を探して部屋を探索する美月は奇怪な絵が描かれているのを発見する。
中世の写本さながらの古拙なタッチで羽の生えた何かの絵が描いてある。神々しい天使のようでいて、獣じみた姿でもある。王冠を被ったそれが、儀式で呼び出したい何者かなのだろう。
美月はそこに置かれた文献を読み漁る。古い言語はさしもの美月にもてこずったが、とぎれとぎれの言葉を拾いあげることに成功した。

『悲願なる再臨』
『儀式の為の城を作りなした。王の受肉の為の召喚を行う城、真赭煉獄城。血の城』
『無垢なる処女の肉の祭壇に……』
『魂の審判によりて純粋なる二つの魂、二つの血を』
『注ぎ』
『穢れをもって』
『復活を』

王というのはこの王冠を被った異形の事だろうか。美月は事態を推測する。ここは儀式の場。そして自分たちは王の復活の為にここに連れてこられたのだ。
「私達を儀式の生贄にするためにここに連れてきたっていうの。お兄ちゃん。真矢先輩。怖いよ。う、うう……どこにいるの、二人とも。でも、ここに居たら本当にみんな殺されちゃう。逃げなきゃ」
逃げ出さなくては。この場所から。二人を探し、何としてでも脱出するのだ。
鍵を探し当てた美月は扉から顔を出す。が、部屋から出られた安堵感は一瞬にして消え失せて強張った声が出た。
「なにこれ……」
カルト教団のアジト、その言葉が連想させるような現代の宗教施設ではない。長い通路が枝分かれしながらどこまでも続いている。まるでこれはダンジョンだ。予想外の空間の広がりに美月は怯える。住んでいた街にこんな大がかりな施設を立てられるような場所はなかったはずだ。隣の市にも。郊外にも。ここは県内一のテーマパークよりきっと広い。ではどこなのだろうか。異世界。そんな単語が脳裏に過る。
「ここは、現実じゃ、ない……?」
恐怖が美月の心を支配する。それでも、兄と真矢がこのどこかにいるのなら、自分と同じく閉じ込められて、残酷な生贄の死に戦いているというのなら、助けなくてはならない。きっと自分の知識がここから出るために役に立つはずだ。そしてこの剣……この剣も。

美月は足を踏み出し歩き出す。この通路は出口に通じているのだろうか。それとも処刑場かもしれない。それでも進まずにはいられなかった。
通路の向こうに潜む影に、美月はまだ気がついてはいない。

Written by @mososokko

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