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descente-降臨- 第七話

S7.悠


「この城はどこに通じているんだ」
通路と部屋ばかりの空間に苛立った賢吾は呟く。出口など全く気配すら見えない。
「言いたくはないけど……、ここは城っていいながら儀礼の為の空間なんでしょ? だから、私達……」
通路の先は、その向こうに在るのは。死……。凌辱の果ての死。凄惨な生贄儀式。暗い想像がぐるぐると二人を嬲る。
賢吾は懸命に美月を励ました。
「悲観するな。いや、ここが異世界の異空間だって聞いた時から覚悟はできてる。出口などないと。だったら謎を解き明かそう。復活したがっているここの王が誰か暴き、元の世界に戻るんだ。美月、お前の知識が必要だ」
「うん!!」
美月は力強くうなずいた。この高揚感は嘘ではない。頼られて信頼される。その事に明らかに喜んでいる自分がいる。美月の趣味は理解されにくく、気味悪がられる事が多かった。美月もそれを受け入れ、何も思うところはなかった。優越感すら感じていたかもしれない。だが、今は違う。この知識が自分たちを救う武器になるのだ。美月は胸元のチョーカーを握りしめる。兄とおそろいの黒革を指で撫で、自らを勇気づけた。必ず元の世界に帰るのだ。出来るなら、真矢も一緒に……。
その時、聞き覚えのある声が二人を嘲った。
「励まし合い進む麗しい兄妹じゃないか。お綺麗過ぎて虫唾が走る」
「鵜城!?」
賢吾は身構える。そこにいたのは鵜城悠だった。因縁のある相手ではあるが、人外の跋扈するこの城で、人間に再び会えた事は賢吾を安堵させた。だが、様子がおかしい。美月も悠の姿を見て声をかける。緊張と恐怖の入り混じった声だ。
「鵜城先輩、無事だったんですね。バス停には私とお兄ちゃんと真矢先輩の三人しかいなかったからてっきり……。でも先輩、その、その姿は!?」
美月は眼を見開き悠を見る。特徴的な銀髪は腰にまで達するほど長くのび、妖しく揺らいでいる。それだけではない。剣。彼の手にある剣……おそらくは美月たちと同類の魔剣であろうか、それは片腕にめり込み、もう片腕を浸食しきっている。イケメンと称されたその整った顔はそのままに魔性を帯びて肌はところどころ爬虫類でもあるかのような鱗が覆い、常に油断ならなく煌めいていた眼窩の眼は今は魔物めいて爛々と輝いている。美月は懸命に悲鳴を唇で噛み殺す。ここは試練の城。生贄の選別の城。じゃあ、悠は試練に勝てずに? わからない。魔物に殺されたならそのまま死ぬのではないのか。それならその姿は何だ。
悠は美月を無視して賢吾に向かい、嘲笑の声を上げた。
「まだ生きてたのか、賢吾……。さすが卑しい虫けらは生命力が違う。それともあの粗暴なお友達に助けてもらったのか? おや? その赤毛の不良の姿がないな。ついに死んだか。あはははははっ!!」
「………………」
賢吾は唇を噛む。真矢。彼をあのままにはしておけない。悠の言う通りにどこかで命を落すだろう。さもなくば人でなくなってしまうかもしれない。だが……狂ってしまった彼を、どうすれば元に戻せるというのだろう。やるせない思いを乗せた眼差しが悠を睨む。
「俺はなぁ、隙を窺ってたんだ。俺をおとしめておいて調子に乗っているお前にどう復讐してやろうかと」
憎悪を煮詰めたかのような口調で悠は賢吾を詰る。
「お前が不良の友達を使って自分の手を汚さずに俺に恥をかかせたんだ。お前は最低な奴だよ、なぁ、賢吾?」
「ふざけないで!! 鵜城先輩、私、知ってます。あなたがどんな手を使ってお兄ちゃんを苦しめていたか!」
美月は激昂して賢吾の前に立つ。足は恐怖で震えている。だが、それ以上に悠への怒りが勝った。
「手を汚さなかったのはあなたの方!! 取り巻きを使って冤罪をなすりつけて! こそこそ卑怯な手を使って小学生みたいないじめ方をしようとしたんでしょう!? でもお兄ちゃんは屈しなかった。そして真矢先輩に咎められて以降、お兄ちゃんと真矢先輩を逆恨みしてるだけじゃない!! そんなくだらない感情にお兄ちゃんを巻き込まないで!」
「黙れェ!!!」
「……………!」
激昂した悠の気迫に怯えた美月は口をわななかせて黙る。身を呈して兄を庇おうとしていたはずなのに、震えた身体はもう指一本たりとも動かせない。その様子を見た悠は猫なで声で美月に語りかけた。
「はっ、兄の影でこそこそ魔法少女ごっこしているような根暗が」
吐き捨てるように言った悠は嘲りの声音で更に言いつのる。その体を取り巻く異質な気配が濃厚な邪気となって視認できる事に二人は気が付いた。背に纏ったマントが風もないのに妖しく翻る。
「言葉も出ぬか。この程度で臆するようなら、最初から何も言わなければいい。そうだろう? 娘、この者はお前などに興味はない。黙って縮こまっているのなら何も手出しはせぬだろう」
悠は二人を眺めまわして喉で嗤う。
「くっくっくっ……お前たちもまた、猥雑なる感情に翻弄される人間というところか。そうでなくてはな。この城は祭儀の場。思う存分に奥の奥まで感情と欲望を自らの爪で押し広げて曝け出し、極限にまで純化せねばならぬ。――――善も悪もだ」
「お前、誰だ? 本当に鵜城なのか?」
緊張でかすれた賢吾の声が悠に問う。彼はさっき、この者と言った。その異形の姿、その口調、やはり悠ではなくて悪魔なのだろうか。ありえる。
「ここは大いなる王の再臨のための儀礼の場であり生贄の価値を審判する城……。純然たる二つの血と魂は肉の祭壇の上で王の受肉のための器となり、敗北した魂はこの城の一部となる……。ある者は石壁に、床に。ある者はここを訪れる人間に試練を課す者に」
美月は口元を押さえた。
「じゃあ、今まで剣で倒してきた悪魔達は人間のなれの果てなの?」
「それは少し違うな。あの者どもは我が臣民。彼らもまた、実態を持たぬ存在。試練に敗れた人間達の肉を得てひと時だけ顕現したのだ。儀式の為に」
「あなたは……」
美月は確信する。悠は悠であって悠ではない。
「先輩を元に戻して! 私たちをここから家に帰してよ!!」
「鵜城、お前はもう鵜城じゃないんだな」
いっそ本人ではなかったならまだしも気が楽だっただろう。邪悪な悪魔が悠の姿で悪を語っているのなら。だが、この口ぶりではそうではあるまい。この城に連れてこられた悠は試練を受け、そして……。
賢吾の問いかけに悠は両手を広げて答えた。
「その者は我が城でにて悪の魂として私に謁見した。かの者は己の肉体を仮宿として私に献上し、代わりに一つ願いを乞うたのだ」
「鵜城の願い?」
「そなた、冬馬賢吾を殺したいと。出来るだけ残忍に。恥辱という恥辱、苦痛という苦痛、汚穢という汚穢を与えて殺させるだけの力が欲しいと。フフ……。その悪意、醜き感情、まさしく純然たる悪の魂に相応しい。私はその者の願いを聞き入れ、そしてそなたらをここに呼び寄せた」
「な……っ、僕たちがここに来たのは、鵜城との契約のせいなのか!?」
「それだけではない。この私が蘇るには受肉の儀式が必要なのだ」
「受肉……」
「そう。撒かれた種が芽吹き、実り、そして収穫されて、その身を裂かれて焼かれて種は壺におさまる。今はその状態なのだ。眠る種は再び土壌にまかれねばならぬ。その為には冬に乾いた大地の胎を潤す二つの血と清らかな肉が必要なのだ」
「蘇って何をするつもりだ。世界の破壊でも行うつもりか?」
「そなたらの世界? 人間の世に何かを行うつもりはない。私は私の世界で王としてまつりごとを為さねばならぬ。故に私は人をかどわかしそして魂の選別を行う。一つは純善なる善。一つは純善なる悪。そしてその血を注ぐに相応しい純潔なる肉体の祭壇の……。この者は私に選ばれて悪を純化した。儀式に必要なのはあと二つ、善なる魂と肉の祭壇だ。もし、そなたらが真に生贄として相応しくば生き残れるだろう。もし、そなたらが不純な存在でしかないのなら死ぬ」
「ふざけるな! どっちみち生贄儀式で僕達を全員殺すんだろう!?」
「古代において超常の存在に身を捧ぐ生贄は願っても容易くはなれぬ栄誉ある存在だ。世が世なら、そなたらは羨望の眼差しを送られたであろう」
「今は古代社会じゃない!!」
悠はマントを広げ、二人を睥睨する。まさしく王の振る舞いだ。
「我は王。至高天より奈落へ至る門をくぐった真赭の王。なべて全ての欲望の上に立つものをつかさどり、その為に流れた血という血をふみしだく栄えある者。我は死して蘇る。我がもとに死は跪く! 我が魂は不滅なり!」
「何が王だ!!」
「ふっ、何を動揺する事があろう。そなたはこの者に辛酸をなめさせられたのではないのか? それもこの者の一方的に抱いたつまらぬ感情で! この男はそなたを憎んでいた。実に矮小下劣な感情だ。この者の眼にはそなたが忌々しく、潰してやりたいほどに憎々しく、なのに捨て置けぬ存在だったらしい。人は自分にない物を求め、表の感情で拒絶しながら裏の感情で狂おしく手に入れようと足掻き、藻掻く! フフ……あはははははは!! 人間とは! 何と面白い生物か。よいぞ、鵜城悠。試練の一つを今ここで行い、そなたの無念を私が晴らしてやろう。そなたの欲望を私は肯定する。情怨も情火も己を焦がす全ての焦熱の願いは我が糧なれば! さあ、この男の血を存分に浴びるがいい!!」
悠は腕と同化した剣を賢吾に突きつける。その瞳が一際傲岸な光を帯びた瞬間に悠は斬りかかってきた。美月は賢吾を援護すべく応戦の構えをとる。派手な音が鳴り響き、魔剣と魔剣がぶつかり合った。
戦慄きながら二人を見詰めるしかなかった美月は賢吾を補佐すべく剣を握る。
剣と剣が派手な音を立てて咬み合い。火花を散らし、魔剣が生み出した魔法が交錯する。
「くっ……、勝てない! このままじゃ……」
賢吾は唇を噛む。再び肉体の主導権を戻した悠は腕に同化した魔剣で斬り結びながら憎悪の声をあげ哄笑する。
「あはははははははははっ!! どうした! 賢吾!! やはり俺の方が優れてるんだ! お前なんかより! そうだろ!? そうにきまってるんだよッッ!!」
最初に悠の心にあったのは不快と嫉妬だった。だが、それはいつのまにかねじくれて陰湿な感情に変化した。クラスの人気者であった彼を止めるものはおらずに、その感情を真矢の鉄拳制裁によってくじかれて後はひたすらに鬱憤を溜め続けて行ったのだ。そして城に拉致されてそこで魔剣を与えられ、試練を受けた彼の中で賢吾に対する感情は取り返しもつかないほどに陰惨なものへとなり果てた。悪鬼のような顔をして剣を揮う悠に、そして彼の肉体を乗っ取った王に応戦しながら賢吾は言う。
「馬鹿にするなよ。確かに僕は確かに鵜城の事を疎ましくも思った。僕を嫌う、そのやり方に腹も立てたさ。でも、だからってこんなやり方は望んでない! 鵜城! 操られてるなら目を覚ませよ! 真矢の事だって、王とやらが何かさせてるだけなんだ! そんな奴の口車に乗せられて露悪ぶったってお前の気持ちはどうにもならない!」
賢吾の言葉を聞いた瞬間に悠は酷く顔を歪めた。苦々しい言葉がそのくちから飛び出る。「う、う、うるさい!! お前はいつもそうだ。いつもいつもお綺麗ぶりやがってこの偽善者めが! もういい! 死ねええええええええええええええええええええッ!」
その両手についた魔剣が妖しく光を放ちだす。
「!!」
「お兄ちゃん……!」
次に来る衝撃からせめて妹だけは守ろうと美月を抱きしめる。その瞬間に別の方向から来た衝撃波が悠を弾き飛ばした。熱い。
炎だ。それが悠の刃を撃退したのだ。
「賢吾!!!!!!」
力強い呼び声とともに炎の魔剣が果敢に悠に挑みかかった。
「ぐっ……」
不意をつかれた悠はよろめき、真矢の刃を受けながら後退する。王は悠の意識を押しのけて苦々しく言った。
「そなた……。この者たちの手から逃げたのではないか」
「うるっせーよ陰険野郎!!!! お前、悠の野郎よりクソだな!!!!! ネチネチネチネチと!!」
炎を帯する剣から奏でる剣戟の音が高らかに響く。真矢の剣筋に迷いは見られない。その表情は決意に満ちて輝かしい。追い詰められた悠は呪わしげに真矢に毒付いた。
「そなたは自身の劣情に負け、友の妹を手ごめにしようとしてたではないか。それを咎められて逆上した人間がおめおめとこの者どもの前によくも姿を現せたものよ! 恥を知らぬのか?」
「走ってたら頭が冷えた」
「何!?」
「ああ、そうだともあんたの言う通り、俺は親友の妹を欲望で襲おうとした恥知らずだよ!! よくわかったさ。俺はドロッドロな欲求を抱え込んでた最低野郎だ! お前が気付かせてくれたんだ! 俺自身の邪悪さに! このクソッタレな城でな! だから言う!! 俺は! 前に進むとな!!!!!!!」
炎の剣が悠の魔剣を跳ね返し、その身体に傷を負わせた。膝を折った魔王はなおも口元に笑みを浮かべている。
「ぐう!! だ、だが、そうか。やはりそなたらは他の者どもとは違う。善なる魂の可能性を持つ者どもよ。己の輝きに気が付いておるか。ふ、ふふ……儀式の完成も近い……。ならば、真にそれを極めた時、また会おうぞ!」
荒い息を吐いた悠は捨てゼリフを吐く。止める間もなくその姿は閃光のもとに消えた。

Written by @mososokko

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