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中学生の時、オヤジが②

工事中の、いまでいう西武球場のあたりに集まっていたモトクロッサーの集団に混じり、崖登りなどを楽しんでいたが、あるアメリカ人の乗る、HONDAのCL72という250ccのスクランブラー(当時はモトクロッサーのことをこう呼んだ)がいともたやすく崖を上っていくのに対抗して、かなりの助走距離をとり、マイマシンで駆け上がって行ったのだが、案の定、途中で息をついてしまい、半分くらいのところから転げ落ちる羽目になってしまったことは、いまでも忘れられない思い出としてある。
アクシデントの思い出は話し出したらキリがないが、ある日、あまりの暑さに裸でモトクロスごっこをして遊んでいたおり転倒し、左腕がまともにヒートしきったシリンダーの上に被さり、ジューッいう音を立てて、皮膚が焦げていくのがわかった。
家へ戻って、おふくろにやけどの手当をしてもらったのだが、いまだに左肘のところにシリンダーのフィンのスジでつけられた火傷の後が、薄く残っている。
エンジン&ミッションが4ストロークのロータリーギヤというのが時間が経つにつれ、どんどん気に入らなくなってきた。自動円心クラッチというメカニズムを持ち、世紀のベスセラーのホンダスーパーカブのエンジンではあったが、ノークラッチのモトロッサーってのがどうしても許せなかったのだった。
そんな時、友人の粟野仁(初代頭脳警察ベース)が、当時の俺たちの憧れであったトーハツ・ランペットという、50ccのスーパースポーツを手に入れ、見せびらかしにやってきた。
ボトムリンク式というフロントフォークのサスペンション機構を持つカブ系(郵政カブ&ハンターカブを除く)と違って、ランペットはモトクロッサーとかロードレーサーのベースになるくらいの名車で、テレスコピックというサスペンション方式をとっていた。
そのテレスコピックを散々、見せびらかされたオレは、今度は、8000円でフロントフォークのスプリングむき出しのスズキの50ccのスポーツモデルを見つけて買ってしまった。
その後、友人のロードレーサー風に改造された、またまたスポーツカブを16000円で買うことになった。オヤジにバイトして返すからと金を借り、そのバイクで新聞配達をやり始めた。しかしそのバイクもサラダオイルの缶を使ってロングタンクにされ、お決まりのゼッケン10番を付けられ、お椀のヘルメットを半分に切ってシートストッパーにし、排気管は直管で、凄まじい排気音だった。
真っ暗闇の早朝に新聞配達をされた方は、さぞいい迷惑だったろうと、いまでも悪かったなぁと思ってしまう。
果たしてそんなレーサー風に改造されたバイクのどこに新聞を積んでいたのか、いまだに不思議でならない。

※このテキストは、かつて第一興商の音楽ファンサイト「ROOTS MUSIC」に連載されていた文章に、大幅に加筆修正したものです。

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