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人生の岐路を振り返ると、間違った選択ばかりだったなと思う。

やりたいことをやろう。思ったことを言葉にしよう。

人生の岐路を振り返ると、今思えば間違った選択ばかりだったなと思う。
いや、選択自体が間違いというわけではない。その選択によってたどり着いた私自身を嫌だとは思わないからだ。
それでも、その選択に至るまでのプロセスや心の持ちようは間違いだったなと思う。

人生の岐路といっても30代前半で世間的に見るとそれほど長くも生きてはいないため、そう多くの大きな選択をしてきたわけではない。
幼少期や義務教育では選択と呼べるほどの選択肢は用意されてはいなかった。
生まれや環境こればかりはどうしようもない。また不満を抱くこともなかった。

これによってこれからの生活が左右されるという選択は、高校選びが初めてだったのではないだろうか。自慢ではないが私は中学時代は成績はよかったため、県内でもトップクラスの高校にも入れたのではないかと思う。しかし比較的近場のそこそこの進学校に入った。
その志望校を決めたのは惰性だ。近いというそれだけの理由。ろくに他の学校なんて調べなかった。何も知らなかった。無知は罪だ。

高校生活も勉強はトップ層を維持した。
そのせいでプライドは大きく育っていった。自分には失敗は許されないと思うようになった。うまくいかない自分が許せなくなった。
そのため人一倍努力をした。それは自分の可能性を伸ばしたい、知識欲があるといったポジティブな理由ではなかった。誰かに負けたくない、できないやつと思われたくない、という他人の目を意識したものだった。

高校生活を経て私の行動の根底にあるのは他人の目になった。
人が羨むもの、人がこうあるべきと望んだものをよしとするようになった。集団の中心にいる人が羨ましかった。仲のいい友人はいたが、他人の目を気にしてばかりいる私に自然と人だかりができることはなかった。
誰かに見て欲しいと思う一方で、誰の目も気にしない人にも強く憧れるようになった。自分というものを持っているということに惹かれたのだろう。
周囲と同じことを望む一方で、他人と異なる自分を持っていることに憧れる。矛盾した自我が当時の私であった。

大学受験は苦しかった。
見栄のために勉強をしてきた私は、自分の目標のために受験期を乗り切れるとは到底思えなかった。そもそも自分の目標というものもなかった。
志望理由は有名だから。無難だから。名門だから。
地元にある大学なんて三流だ、なんて思っていた。心の底では到底入れる気もしていなかった。

だから推薦に逃げた。幸い成績は良かった。
もともと行きたかった大学だと思いたかった。オープンキャンパスで見た光景や志望理由書に書き込む内容で自己暗示をしていった。

大学入学。一人暮らしの開始。
周囲の同級生が大人に見えた。自信はなかった。
新しいものに挑戦したいと思っていた。小学生で辞めてしまった野球をまた始めたい。バンドを組みたい。なんて思っていた。
初めてされたクラブ勧誘はラクロス部だった。今思えば入ってみても良かったかもしれない。結局入ったのは中高と取り組んできたスポーツのサークルだった。

新しい世界には踏み出せなかった。
なんでも挑戦して良かったはずなのに、無難な何でもない日々を過ごしてしまった。周囲には面白いことをしている友人がたくさんいた。
その人たちに囲まれて、何者かになった自分がいた。
サークルは自分たちの代になる直前で辞めてしまった。自分が前に立って引っ張れる自信がなかったのかもしれない。当時は同期とは考えが合わなかったといっていた。自分が合わせなかっただけなのかもしれない。

それからも何も面白みもない時間を過ごした。
我ながら勿体無い日々を過ごしたと思う。今では取り返せない貴重な時間だった。
今当時に戻れるならばやりたいことは山ほどある。
初めてのことを毎日したい。

就活の時期になった。
こんな自分が他の人に勝てる気がしなかった。それでもまだプライドは大きく育ったままだった。自分も何者かになれると思っていた。
現実は甘くはなかった。やはりうまくはいかない。
自己分析が苦痛だった。薄っぺらい自分。
大都会で働きたいと思っていた。ドラマの中のような華やかな世界に身を置きたかった。それは叶いそうにない。

家族のことを言い訳にして地元に帰ることにした。
両親は喜んでくれた。自分も納得したふりをした。
最初は良かったが、今になってはやりがいは薄い。本当に自分の意思で選んだ仕事ではないからだ。辞めたくてもいい転職先はない。転職エージェントにも望み薄だと言われた。

社会人になって何年かしてから妻と出会った。付き合い始めた頃は県をまたいだ遠距離恋愛だった。距離にして300キロほどだった。
当時の妻は勤め先で人間関係に悩んでいた。精神的にかなりきていた。
誰かの視線が気になるからではない。自分がしたいと思って妻のそばにいるようになった。
仕事が終わって夜の10時ごろから車を走らせ深夜に妻の家を訪ねたこともあった。妻のために生きていた。妻も私を必要としてくれていた。

付き合って何年かして、祖父が体調を崩した。
祖父母には大切に育てられた。愛されている自信もある。
だから祖父には結婚式に来てもらいたかった。不純な動機かもしれないがそれがプロポーズをしたきっかけのひとつだった。

私の人生はまだまだ人任せだった。
妻と一緒に暮らしてからはそれが少しずつ変わった。
妻は外出が好きだった。自分で楽しそうなところを見つけては私を誘った。
それが楽しかった。次第に私も自分にとって楽しそうなことを提案するようになった。
妻と結婚してから家族ともうまく話せるようになった。
私は自分のことを話すのが苦手だった。薄っぺらい人間だったから。
それでも妻をきっかけにして自分をさらけ出せるようになった。

そうなってからは毎日が楽しい。
自分の気持ちに素直になれた。他人の目を気にしなくなり始めた。
髪型も服装も、考えも意見も。自分がそう思うのであればいいと思うようになった。
この考えのままで、これまでの選択をやり直したいと思ってやまない。
それが人生の後悔だ。
そうしたらもっと充実した高校生活、大学生活を送れたかもしれない。
そうしたら別の仕事でもっと充実感を得ていたかもしれない。
この人生で良かったことは妻と出会えたことだ。

そのおかげで、今では楽しいことを探す毎日。
もともとひとり遊びは好きだ。頭の中には色々な思いつきが眠っているはずだ。

後悔は後をたたない。
しかしやり直すことは不可能だ。気は早いが先はそんなに長くないと思う。
誰かのためでなく自分のために残された時間は使いたい。
やりたいことをやろう。思ったことを言葉にしよう。

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