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iLab STORY vol.5|創業者、木下美智子の化粧品。

前回のnoteから時間が経ってます、、、慌てました。
もう暮れです。

この秋は久しぶりに八ヶ岳に数日滞在しました。

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もう気がつけば、、30年八ヶ岳のお家を1年に一度は訪れているわけで、それはそれはバブルのペアルックで盛り上がる時代から、人っ子一人いなくなった駅前で次から次へとお店がつぶれてしまった時代、そして最近では移住したい町ランキングに北杜市が1位になったらしいです。そんな時代のおかげで、お家のまわりの空き家状態、廃墟のような別荘にも人が越して来たり、リノベしたり、一から壊して建てるひとなどでまた人が増えている感じはあります。

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創業者の山の家は、昨年2人が立て続けになくなり、創業者は夫の後追うようにして亡くなってしまった。今の社長が次の山の主になったわけですが、ずっと暮らしていた主の気配というはあらゆる景色とともに、私の記憶に残っているものです。

この秋には、いなくなった家に創業者と深い縁のある夫婦がこの山の家を訪れおり、主のいなくなった山荘に灯りがともり、見た雰囲気は、いつもの佇まいがあらわれる。

不思議とまだいるような気配を感じる。まだじっと、ここにいることはできない。色々な思い出が頭の中に浮かんで、話しかけることのできない悲しい気持ちが沸き起こるから。寒い晩には一緒に湯豆腐でもつまみに、ぬる燗で主と一杯やりたいなぁ。とついつい思い出してしまいます。

さて、創業者の話。創業者、木下美智子はまったくお酒がのめないが、年に数回、ワインかシャンパンはちょっとなめる程度に付き合ってくれたことがある。なんの気分だか本当にまれにありました。真逆が彼女の夫(山のお家の主)はビールが水だと思っているぐらい、よくお酒を嗜む人だった。八ヶ岳は大体お盆を過ぎるころからぐっと秋めいて、標高が高いのもあって薪ストーブをつけたらよいようなぐらい冷える。こんな夜はぬる燗かワイン片手に一緒に映画を鑑賞したり、今日は庭にリスがこないとか、あの鳥がこないとか、そんな話をぬくぬくとした部屋から秋めいた景色を眺めるわけで。

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秋本番になると、主は山の家を空けて日本の各地に足を運ぶ。生まれ育った浜松、終戦後に疎開していた疎開場所。福井の小さなお寺巡り、小浜のあたりも行ったし、何より仕事でよく滞在していた京都へ秋に訪れていた。八ヶ岳の山荘に出入りしていた頃、大学の長い休みが終わって八ヶ岳を去り、本業の京都にいると珍しく主と一緒に妻、木下美智子も一緒に来た。夫と国内旅行なんてもう何十年振りだろうという話だった。

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音楽プロデューサーとしてヨーロッパに音楽の買い付けで、かなりの頻度で出かけていたのに、国内旅行は珍しいという。聞けば、日本の旅館が苦手。布団が苦手、やわらかいベットのホテル滞在も得意ではなく、すべて掃除を自らベットの硬さを調整してようやく落ち着く程の潔癖具合だったようだ。

特に夫が行きたいような場所は、大概ホテルではなく旅館しかないような場所で、彼女はついてきたいということが全くなかったらしい。秋の京都は本当に珍しい旅だった。タクシーの運転手さんフルアテンドの2泊3日、人があまり行かない場所ばかりで、例えば紫式部のお墓など一風変わった京都ツアーが開催された。創業者も、その夫もまず、メジャーどころ行かない。二人らしいツアーだなと思い行動をともにした。私は京都で大学生をやっていたので、二人が訪ねてきた形だったが、京都の人でも知らないようなところばかりで、とても不思議なツアーだった。

大学生だった私には、創業者が話す仕事の話は非常に興味深く、また彼女のキャリアの重ね方、人との付き合い方や、ヨーロッパでの話などいつあっても同じ話になることはなく、新鮮だった。当時開発中だった商品も京都まで持ってきて、後日感想を送って欲しいと積極的に、会う人会う人に渡しては伝え、渡しては伝え、一生懸命だった。(もしかしたら、、旅よりそれが目的だったかもしれない、、、苦笑)

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その甲斐あってか数年後には「フォーミュラB」という商品が、ソニープラザなどで「毛穴の汚れを乳化する」で大ヒット。小鼻の黒ズミやニキビの予防になると、口コミサイトアットコスメでいっきに広がりスターダムへ。日に100個以上売れることもあり、会社は大忙しだった。

今思うと京都滞在はその少し前ぐらいだったので、ヘアケア商品を肌に使おうと考え、顔用に4mLのチューブにしたり、大学の皮膚科医の分野で活躍されている先生に積極的に相談したりして、薬用を所得するべく臨床試験などにも積極的にチャレンジしていた頃だろう。音楽の分野では大ヒットを生みだした名プロデューサーだった創業者は、なかなかヒットにつながらない、いい商品だとしても手ごたえを感じにくい化粧品の世界に、真っ向から勝負する人だった。

彼女はクリエイティブセンスがあり、イノベーターで、行動力もあったから、こうして愛される化粧品を創るまでに至ったけども、すべてが当然ヒットしたわけではない。これまでの彼女が生み出した懐かしの商品に触れてみようか思っていますが、新年。何か明るい話をしようかな。

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noteはさまざまジャンルで活躍する方々の情報発信ツールだとおもっているので、良いものだけど売れなかった、ちょっとした黒歴史に触れるのも分析して公表するのも良いかもしれないな。本当に多くの商品を生み出し、失敗も数多く経験していた。苦労なくしては今のこの商品たちが世の中に生まれることはなかった。中身がよくても市場には評価されなかったもの。その時に起こったことを冷静に今振り返ると、やっぱり売れなかった理由はきちんとあるもんだなぁ。と思ったりするわけでして。

色々なことにチャレンジしている姿をみているので、そんな彼女の黒歴史も、もしかしたら誰かの励みになるかもしれないな、八ヶ岳の秋の風景の中、いろいろ懐かしいことを思い出したりしました。

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