Lovey-Dovey Surfing

グズルザ/マンタインサーフに挑戦するルザミーネ


辺り一面に広がる海面が、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。きっとここに住んでいればいつでも見ることのできる美しい景色だ。しかし、彼はこの土地で暮らしているわけではないので、この光景を毎日のように見ることはできない。彼は決してこの景色を忘れないようにとマリンブルーを目に焼き付けた。
この男はどこにでもいるような普通のかんこうきゃくだった。ジョウト地方に住んでいる彼は大の旅行好きで、兼ねてからずっと来てみたいと思っていたこのアローラ地方にようやくやってくることができた。本当はもっと早くに来るつもりだったのだが、私生活が立て込んでおりあまり余裕がなかったのだ。
彼はつい先程までぶらぶらとカンタイシティを散策していたところだった。今回の旅は三泊四日で今日は三日目。初日はホテルにチェックインしてからすぐにヴェラ火山公園に行き、二日目はウラウラ島まで行ってジョウトがモデルになったというマリエシティとホクラニ岳を観光した。今回の旅行の一番の目的はマリエシティであったため、彼は既に満足していた。そのため、今日はこの常夏の島でのんびりと過ごすことに決めたのだ。
本当はハノハノリゾートホテルに宿泊したかったところだが、あまりにも高額で諦める他なかった。かんこうきゃくは地元の友人と会社の同僚への土産を買い終え、ホテルしおさいに戻って荷物を置くと、特にあてもなく歩いてカンタイビーチへとやってきていたのだった。
アローラ地方では、マンタインサーフというスポーツが流行っているのだという。読んで字の如く、マンタインに乗ってサーフィンをするというものだ。ここカンタイビーチでもマンタインサーフは盛んなようで、ビーチに受付が設置されている。かんこうきゃくは、あまりマンタインサーフ自体には興味は湧かなかった。ただ、ホテルの部屋のバルコニーから見えたあの綺麗な海が目の前に広がっている光景に圧倒され、彼はしばらくこのビーチで時間を過ごすことにしたのだった。

「……でも、どうしてここなの?」
「いやだから、ビッグウェーブビーチは家の目の前すぎて気まずいんだよ」

ふとそんな会話が聞こえ、かんこうきゃくは振り向いた。どうやらカップルらしき二人組の会話だったようだ。金髪の恐ろしいほどに美しいほっそりとした女に、大柄で少し目つきの悪い刈り上げ頭の男。第一印象としてはとてもお似合いとは言えない風貌の二人だったが、余計なお世話だろうと彼は目を逸らした。とは言っても正直なところ、カップルの男の方の威圧感が凄まじく、ただ怖かっただけである。

「そっちの方がコースは簡単なんでしょう?」
「ま……まあな」

男が少し気まずそうな声で言う。

「……やっぱり、ビッグウェーブビーチの方が良かったか?」

男の声は不安げだ。あれ、意外と怖くないかもしれない。

「いいえ、わたくしは大丈夫。だって、もしものことがあってもあなたが守ってくれるでしょう?」
「……おう」

ラブラブやな、かんこうきゃくは心の中でそう呟いた。

「空いてますのね」
「平日の昼前だからな。他の日よりは人も少ねえ」
「だから今日にしようって言ってくれたのね」
「ああ」

カップルは砂の上を歩いて受付の方へ向かっていく。二人の姿はとても目立っており、男はどうしても目で追ってしまっていた。

「グズマは何度かマンタインサーフをやったことがあるのよね」

蝋人形のように白い肌の女がそう言う。どうやら男の名はグズマというらしい。話を聞く限りグズマはアローラ出身のようだが、女はどうなのだろう。

「まあ、一応。大して記録出してねえけどな」

グズマが答える。

「あら。挑戦するだけでもとても素晴らしいことよ」

そんな会話をしながら、カップルは受付を済ませて波打ち際の方へと近づいていった。真っ黒のビキニを着た女は、まるでモデルだろうかというほどにスタイルがいい。かんこうきゃくは、やはりその二人から目が離せなかった。

「えいえい」

近くのマンタインが鳴き声を上げる。女はクスクス笑って、

「こんにちは、マンタインちゃん。よろしくお願いしますわ」

そう言ってしゃがみこみ、そっとマンタインに触れて軽く体を撫でる。マンタインは気持ちよさそうに目を細めていたが、女の隣にボディガードのように立っている男に気がつくと驚いたように目を開いた。

「……行けるか?」

グズマが言う。

「ええ」

女はすうと息を吸ってから答えた。グズマはニヤッと笑い、両腕を伸ばした。女はその腕に掴まり、ゆっくりとマンタインの上に足を乗せる。

「いつもあんなたっかいハイヒール履いてんだから楽勝だろ?」
「そうね、と言いたいところだけれど……難しいわ」

恐る恐る両足をマンタインに乗せた女の声は少し震えている。ゆらゆらと揺れるマンタインの上でバランスを保つことは確かにとても難しそうだ。女はグズマの腕から手を離せないようだった。

「グズマ、動かないでちょうだい」
「動いてねえぞ」
「やだ、立つだけでもとっても難し——きゃあ!」
「危ねえ!」

女の高い声が響く。女はバランスを崩して思いきり前のめりに倒れた。とはいえ、グズマがその体をガッチリと受け止めたおかげで彼女は転ばずに済んだ。

「ありがとう、グズマ」

女がグズマに抱きついたまま礼を言う。

「……いや、気にすんな」

彼の声がくぐもって聞こえるのは、女を抱きしめているからだろうか。

「難しいわ」

グズマが女の体をやんわりと離すと、女は頬に手を当てて呟くようにそう言った。

「まあ、最初から出来るやつなんてそうそういねえよ」
「グズマはどうでしたの?」
「……あんまり苦労しなかったな」
「すごいじゃない!」
「最後の最後でマンタインから落ちたけどな。でも乗る時は大丈夫だった」
「わたくし、本当は少し怖いのかもしれません。それがマンタインちゃんに伝わってしまっているのかも」

女が切なげに言う。グズマは「あー……」と声を漏らし、しばらく考えてから口を開いた。

「そりゃ、誰だって怖がらずに乗れることはねえだろ。でもそのマンタインも色んな奴ら乗せてきてんだろうしよ、信用してやるしかねえよな」
「ええ、そうね」

グズマの言葉に女は頷いてから、ウフフと笑う。

「なんだあ?」

グズマが怪訝な顔をして女を見つめた。

「いいえ!あなたにそんなお説教されるだなんて、なんだか不思議な気分」

女はクスクス笑いながら楽しそうに言った。グズマは困ったような顔を浮かべて、

「おいおい、説教なんかじゃ……」
「分かってますわ。アドバイスよね。ありがとう」

女はそう言うと、何も言わずに手を伸ばした。それを見たグズマが両腕を伸ばす。女は再びグズマの腕に掴まった。

「……」

女は黙って慎重にマンタインの背に足を乗せていく。かんこうきゃくの男も、女を応援するような気持ちで息を詰めてそれを見守っていた。
女は両足をマンタインに乗せると、真っ直ぐ前を向いた。まだ少しふらついているが、先程よりはずっと力強く立っている。

「いい感じじゃねえか」
「ええ……そうね……!」

女が言うと、グズマは少し遠慮気味に尋ねる。

「手、離してみるか?」
「……ええ。やってみるわ」

女はそう言うと、グズマの肘の辺りを掴んでいた手をするすると滑らせていく。その様子を見つめているグズマはやけに静かだ。
女の手がグズマの手首までやってきて、やがて手に触れて離れる。その瞬間、少し大きな波が来たことに驚いたマンタインが「えい!」と鳴き声を上げて揺れた。

「あっ!」

女は慌ててグズマの手を掴んだ。二人は指を絡ませて両手を合わせるような形になり、奇妙な距離感を保ったまま数秒見つめ合った。

「ええい……」

マンタインが小さく鳴き声を上げる。どうやらいきなり動いたことを申し訳なく思っているようだ。

「いいえ、大丈夫ですわ」

女は下を向いてマンタインにそう声をかけると、再びグズマと視線を合わせた。

「グズマの手、とっても熱いのね」
「……代表の手だって、めちゃくちゃ熱いぞ」

そう言うグズマは、手だけではなく顔も熱そうなほど赤くなっている。かんこうきゃくは「熱々やわ……」と呟いて向かい合うカップルから一旦視線を外した。

「……グズマ。手を離していいわ」
「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫」

二人がそんな会話をしているのが聞こえる。かんこうきゃくは結局視線を戻した。
見ると、グズマは既に手を離しているところだった。女はバランスを保とうと両手を広げている。ゆらゆらと揺れながらも、女は見事グズマの支えなしにマンタインの上で立てるようになっていた。

「グズマ、わたくし立てましたわ!」
「おお、やったじゃねえか!」

二人は嬉しそうに笑い合っている。恐らく二十代前半のカップルだとは思うが、そんな二人の姿はなんだか小さな子供のようでかんこうきゃくはこっそり笑ってしまった。

「じゃあ、このまま行ってみるか?」

グズマが少しテンションの高い声で言う。

「ええと……そのつもりでしたけど、まだわたくしには難しそうだわ」

女はそう言って首を横に振った。

「そうか」
「ええ、だから、あなたのお手本を見せてほしいの」

女の言葉に、グズマは目を瞬いた。

「え?」
「グズマ、あなたが先にやってみせてくれる?」
「え……いやまあ、別にいいけどよ。でもあんまり見えないんじゃねえか?」
「実はこんなこともあろうかと思ってあそこに船を用意していますの」

女がそう言って指差した先には、真っ白いボートが浮かんでいた。

「マジか」
「ええ!ビッケに頼んでおいたのよ、何かあった時のためにカンタイビーチに船をよろしくって」

女は楽しそうに笑っている。かんこうきゃくは一体この女は何者なのだろうかと思い始めた。

「代表、最初からオレさまのマンタインサーフを見るつもりでここに来たのかよ」
「もちろんですわ。ねえ、いいでしょう?グズマのかっこいいところを見せてちょうだい」

女のその言葉に、グズマは明らかに気を良くした様子だった。少し顔を赤らめつつ、頭を掻いて「しょうがねえな」と声を上げる。

「ではわたくし、船の準備をしてきますわね。グズマ、記録更新を目指して頑張って」

女はそう言うと、少しだけ背伸びしてグズマの頬に唇を押し当てた。

「……っ」

グズマは言葉を失って女を見つめている。

「ウフフ!」

女は笑ってグズマを見つめ返すと、船の方への駆け寄っていった。
ずっとカップルだと思って見ていたが、もしかしたら違うのかもしれない。いや、付き合いたてなのだろうか。かんこうきゃくは無駄に考えこんだ。
グズマがマンタインの上に足を乗せる。その後ろ姿からは有り余るほどの熱意が滲んでいた。
まあ、なんであれ、第一印象は間違っていたようだ。今までの様子を見る限り、あの二人はかなりお似合いだとかんこうきゃくは思い直した。
やがて、エンジン音と共にボートが近づいてくる。それを確認したグズマが、「行くぜマンタイン!」と声を上げた。

「ええい!」

マンタインもやる気満々の鳴き声を上げる。そして、カンタイビーチを離れていった。


翌日、ホテルしおさいでチェックアウトを終えたかんこうきゃくは、最後にもう一度海を見ようとカンタイビーチにまたやってきた。昨日のカップルは今日は来ていないようだ。
ふと受付近くに置かれたボードに視線が行く。どうやら、マンタインサーフで獲得した得点がランキングになっており、上位三名の名がスコアと共に記録されているようだった。
何の気なしにボードを眺めていたかんこうきゃくは、そこにグズマという名が載っているのを見つけ、思わず吹き出してしまった。近くに立っているかいパンやろうが怪訝な顔でこちらを見つめてくる。かんこうきゃくは慌ててその場を離れて乗船所へと向かった。


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