見出し画像

完璧なわがまま。

私が求めているのは単なるわがままなの。完璧なわがまま。
たとえば私が今あなたに向かって苺のショート・ケーキが食べたいって言うわね、するとあなたは何もかも放り出して走ってそれを買いに行くのよ。
そしてあなたははあはあ言いながら帰ってきて『はいミドリ、苺のショート・ケーキだよ』ってさしだすでしょ、すると私は『ふん、こんなのもう食べたくなくなっちゃったわよ』って言ってそれを窓からぽいと放り投げるの。私が求めているのはそういうものなの。

ノルウェイの森(上)

これはかの有名な村上春樹のノルウェイの森という小説のミドリという女の子が発した印象的な台詞で、私はこれがなんとなくなのだけれど、なんとなくとても好きだ。
この台詞だけ見ると何とも理解しずらい話の様にも見えてしまうのだけれど、どこかわからなくない様な気がずっとしていた。
とあるきっかけで「恋人や友人等好意的な相手に対してとわがまま」について少し考える機会があり、この台詞を思い出した。

恋人はわがままの言える人が良かった。
自分が自信を持って、堂々と振る舞える相手が良いだろうと考えていた。
そういう相手の方がきっと長い時間をかけた時に、大切に出来る様な気がした。
もちろんショート・ケーキを窓から放ったりはしないけどね。
買ってきてくれた事もないし。笑

私は好き過ぎる人にわがままを言う事が苦手だった。
そんな人を自分にとって都合の良い人にしたくなかったからだ。
「私はあなたが例え私にとって多少都合が悪かったとしても、あなたが好きだよ。」そんなことの細やかな証明だった。
不必要に自分にとって都合の悪い選択を取ったりする事さえあった。相手の得にすらならなくてもだ。意味がわからない。笑

私は自分がわがままを言える本当に限りなく少ない相手である恋人のことが好きだった。
正しさとは関係のない主張を許されることは不思議な安心感があった。
本当は言いたいわがままなんて大して無かったけれど、そういった主張をしてみたいが為に夕ご飯のメニューや、外出先の提案をわがままを言うみたいに強めに主張してみたりした。
いや、本当は言いたいわがままもあったかも知れない。
けれどそれは言わなくて良かった。
わがままの内容を達成させることよりも、彼にわがままを聞いてもらうという事自体が私を満たしたのだと思う。
私はよく恋人に「かわいい」を強要した。
「それは自発的でなくて良いのか」と問われたことがあったが、「私の求めるものに答えようという気持ちが嬉しいからこれで良い」と答えた。
きっとそういうのと同じことだ。

彼は私のわがままを聞いて、私はわがままを聞いてくれる彼を好きでいた。
だから私たちにその先はなかった。
私が望まない限り、その先はなかった。
「でも俺のわがままは聞いてくれないんでしょう?」
そう言葉にした彼の切なくて優しい声音を好きだな…と思いながら部屋を出た。
私が彼を好き過ぎていたら良かったのかも知れない。
けれどそんな貴方と私は上手に恋人が出来ただろうか。
私は今でもまだ、上手にわがままを言える自信がない。

わがままってきっとこういうことなのではないかと思うけれど、
私の求めるわがままは完璧すぎてなかなか手が届かない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?