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豊かに生きるということについて 

ずっと人生はとても短いと思っていた。
「好きな事や興味を惹かれるような物事が世の中には数えきれないほどある」という事実に焦りのようなものを感じていた。
きっと全てを選び取ることは出来ない。けれど限りある中で出来るだけの好きやときめきを自分の人生の中に取り込まなくてはならないと必死になって考えていた。

けれどこの感覚はどうやら半分は正解で、半分は間違いな様な気が最近はしてきている。

例えば私の人生を朝食のビュッフェだとした時に、エビフライも天ぷらもエビチリも、パスタも湯豆腐もよく分かんない四角形ににジュレとかかかってるやつも、全てが同じお皿にこんもり盛り上げられたとして、果たしてそれは素敵な朝食と言えるだろうか。
そもそも今あげたメニュー全てを私の朝食とするならば、見た目の美しさや食べ合わせ云々の前にまず胃もたれしそうだなと思う。
きっと途中で食べる事がしんどくなって、自分で選び取れたはずのそのメニューのせいで朝食そのものを楽しむ事が出来なくなってしまうだろう。
レストランのお皿が料理に対してやたら大きかったりするのは、きっとその料理を美しく魅せるための余白であり、それがある事で視覚的観点において私達はより食事を楽しむ事が出来る。
とした時に、「余白の量というのは、人それぞれの人生を彩る一つの要素と捉える事ができるのでは無いだろうか」という事だ。

きっとこれでもかとトキメキを詰め込んだところで、私はそのトキメキを集める事に執着をするばかりで真にそのトキメキの価値を味わえ無いままこの生を閉じることになるだろう。
仕事熱心で良く働いて財もあるはずの人間がその財を使うことなく死んでいくように、面白そうな本を本棚に並べたまま読みきれていないものがいくつもあるように、お金も本もトキメキだってコレクションするだけではあまり意味がない。
そこにそれらを並べることだけがその物たちの本当の価値ではないはずだ。
もちろん、並べて楽しむことを趣味とするならそれを否定するつもりはないが、「それらを味わい尽くす」といった意味では不十分の様に思う。
そのため、私たちは”私たちを満たすだけの興味深い何か”と”それを穏やかで豊かなものにする為の余白”をバランスよく取り入れることがきっと重要で、例えば自分と誰かを比べたり、あるいは憧れすぎてしまった理想の自分と比べたり、はたまた平均値みたいなものと比べてしまったりして、他と同じだけ何かを持っていようとすることは、もしかしたら少し勿体無いことなのかもしれない。

この短い生をどの様にして豊かにしていくか、面白いものが沢山ある世の中だからこそ、それらを選び取る力と、空白を存在させる勇気を持っていることが一つのポイントになるのかもしれないと考えている。

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