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その優しさは愛情ですか?それとも、貴方に好かれるための手段ですか?

優しい人が好きです。
そして私も優しい人になりたいです。
出来るだけ貴方を愛していたいです。
そんなふうに考えていたら、気になることが出てきました。
愛する貴方と、愛したい私に警告。

「優しさ」というのは一言で扱うのがとても難しい。
何をもって優しさとするかは人によって大きく違うし、いろんな言葉も感情も優しさの中に丸め込んでしまう人もいる。
だから、優しさを優しさだけで大きく取り扱うことは難しい。

少なくとも優しさには種類がある。
今回は愛情と手段という二つにこの優しさを組み分けてみたい。

まず愛情。ここに分類される優しさというのは思いやりの類いで、相手方が貴方のことを思って、貴方の幸せを第一に考えた言動や行動、あるいは意見すること。これを愛情としたい。

そして手段。ここに分類される優しさは、ただ貴方の求めた、都合の良い言動や行動、または意見を指し、相手方が自らの目的を果たす為に施すもののことだとしよう。

どちらも貴方にとって悪いものではないし、間違いなくそれらはきっと優しさだけれど、一度自身に向けられた優しさや貴方の中に生まれた優しさがどちらに分類されるか考えてみて欲しい。
考えてみた上で、どちらの優しさを受け取っても受け取らずとも構わない。どっちも受け取ってもいいし、どっちも受け取らなくたっていい。あるいは、それが貴方の中にあるものならば、それを形にしてもしなくてもいい。
そこには何のルールもないのだけれど、例えば愛情を真っ直ぐ受け取れなかったら悲しいし、自分が愛情のような気で持っていた優しさが実は自分の為でしかなかったりするのもやっぱり悲しい。それに気づけないでいる事が一番悲しくて、寂しい。

人と関わっていると、有難いことに優しさに触れる機会が沢山ある。
誰かから誰かへの優しさを目にする事もある。
綺麗にラッピングされたプレゼントを直ぐに破り開きなさいなんて思わない。
けれど、ラッピングも中身も全て含めて誰かから貴方へ、貴方から誰かへのプレゼントだから、丁寧にほどいて、箱の中もきちんとのぞいてみて欲しい。

例えば好意と愛情が違うように貴方にとって、彼女にとって、嬉しいものだったとしても、それが必ずしもプラスになるとは限らない。
受け取った先でそれらとどの様に付き合っていくかも受け取り手次第だ。
だから、優しさは慎重に扱って欲しい。
優しさなんてあればあるだけ良いけれど、もし沢山あったとしても、どうか雑になんて扱わないで欲しいのだ。


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