元気あげたりもらったり

ワタクシひさとしメンバーは図書館で働いているのですが、どうにもこの頃の仕事がキャパオーバー気味で、わわわと地に足つかずなまま次々やってくる仕事をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、している状態。結果良い仕事につながらないまま悪循環で消耗しているとはわかっていながらも、その穴は掘り続けなければならない、みたいな感じでいます。

そんな今日は久々にようへいメンバーにお会いしてのランチミーティング。お忙しそうではありながら、どこか晴れやかな雰囲気と話っぷりに、何だか勝手に元気をもらったのでした。

誰かしらに「元気?」と聞くことはありますが、気付けばその行為は自分が元気じゃないとできません。そして「元気?」と聞いて「元気だよ」と応えてくれればよいですが、そうでない場合には「いやまあまあ」とか「なかなかね」と、濁されてしまいます。

「元気?」「元気だよ」「元気?」「まあまあね」

元気が無い時に、元気な人から元気をもらう。元気がある時に、元気じゃない人に元気をあげる。そんな「気」のやり取りは、あまり意識はしないながらも、きっとされています。


今日はようへいメンバーから何だか元気をもらったなーとか思いながら帰宅したら、娘がそれはもう元気にしていました。

パワーがありあまってるんだかなんだか、娘の中での最近の流行りはレキシの「SHIKIBU」という曲らしくって、風呂上りに全裸で「シキシキブンブンシキブンブン!!」と、すっかり疲れ切った父親の前で踊って歌って弾けていて、おかげで元気を貰っていろいろなことがどうでもよくなったのでした。

娘の元気をもらいつつ、いわゆるイクメンとして幼い娘を育てている時間は過ぎた気がしつつ、イクメンとは「父親」を指す言葉で、育児をする父親という意味合いではありますが、幼児期を経たからといってイクメンでなくなったわけではなく、むしろその先の成長を共にする、せざるを得ない、などと思います。

育児は深く終わりがない。老齢の両親も私を育児している意識があるのだろうか。「我が子とは、我が子であるという時点で特別である」とようへいメンバーは最近書いていたけれども、激しく同意します。そんな子供が元気であり、そんな子供から元気をもらうだけでありがたい。できるだけ元気であるようにしたい。

(ひさとし)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?