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創作への衝動とは

自宅のPCに向かって作業をしていたら、まもなく小学校二年生になる娘が「顔を見せて!」と私の顔をまじまじと見ては、「じっとしてて!」とか言うので、なんだろう顔の絵でも描いているのかと思ってじっとしていたら、「なんだそうなってるのか」とか、「多い!」とか、「えーそうなんだ」とか、描かれている方としては不安になるような発言ばかり。

何度か行ったり来たりを繰り返していくうちに「できた!」と言って見せてくれたのがこちら

なるほど!ちゃんと似顔絵を描いていたのか。

似ていると言えば似ているな。そんなへの字の口をしているか?ひげはそんな感じで濃いのだろうか。ほくろはちゃんと描いているね。えっ髪は薄く見えるのかい?


とかいうのはいいとして、そんな風にして似顔絵を描こうとした行為それ自体がおもしろかったのです。何がきっかけかはもはや不明ですが、なにかの衝動を持ってして、父親の似顔絵を描こうと思った。その源泉はいったいなんだろう?


パパバンドで楽曲作ったり、なにかイベントやろうよとなることってあるんですが、そもそも「やろう」とする衝動めいたなにかしらがなければやらないはずなのです。そのそもそもってなんなのでしょうね。そういうのを、子供の姿を見ているとふと気づかされます。なんでやろうと思ったんだろうって。

でもでもね、子供を観ていると深く考えることもないのだなと思うのです。ただ単純に、「やりたいからやった」ただそれだけでいいのかなと。子供はあとさき考えず、「ただやりたいからやった」という動力だけで動いている。


なんかそれでいいんじゃないかなって。その「ただやりたい」のグルーヴ、なんだかだすぐに飽きちゃったりもするので、そこを踏ん張って新たなアイデアや素材を取り入れつつ。あとは地道な行為とともに、時に自らの子供よろしくすっかり忘れていた「遊び」と「やりたい気持ち」に立ち返りたいものだと思います。創作とは子供めいた自身との行ったり来たり。



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