マガジンのカバー画像

正しいものを正しくつくる

122
書籍「正しいものを正しくつくる」に関するマガジン。 https://beyondagile.info/ https://www.amazon.co.jp/gp/product/4… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

目標管理のフレームとしてのOKR、分断を乗り越える手がかりとしてのOKR

「開発もビジネス側に踏み込んでいかないといけない。」  義務感からはなく「そうありたい」という思いとして、この手の決意を耳にすることが以前よりも増えた。現場がより価値を形作っていくためには、どうあると良いのか。考え抜いた末に、出した結論。もとより容易ではないとわかっているが、それでもそうでなければ変わらない。  プロダクトオーナーと開発チームの分断課題について十数年前から言及しているように思うが、いよいよこの課題に向き合う現場が増えているのは感慨深い。と同時に、根深いとも思

原則で語るか、感情で語るか

 最近、ある方との出会いで、新たなインスピレーションが得られた。コロナ以降の流れで、仕事以外での「新たな出会い」なるものはめっきり減ったままだった。やはり、新たな出会いは新たな思考をもたらす。この感覚は久しく忘れていたように思う。  一つ整理がつきそうなのは、こんなことだ。原則で語るのか、感情で語るのか。もしくは原則ドリブンか、感情ドリブンか。  人には何かしら、こうありたい、だからこうしたい、こうしていたい、といった「信念」「価値観」が宿っている。今のところ、「信念」と

ナラティブ・チーム報 (輪番でチームの日報を書く)

 同じものをみていても、あるいは同じ時間をともにしていても、どうみているか、どう感じているかは人によって違う。  だから、ふりかえりであるとか、その他のワークショップや場を設けることで、意識的に分かろうとする。考えをあわせたい場合もあるし、合わせるのではなく違っていることを分かるようにしておきたいという場合もある。いずれにしても「共通理解」を一定得る、時折得ることで、チームや組織の営みを良くする。  こうした「何に、何を感じているか」を表出するのが容易ではないときがある。

「アジャイルとは設計しないことか」 へのもう一つの解説

 「アジャイル」という概念を広く適用していこうとすると、思わぬことに気づくことがある。例えば、「"仕事をする" のに必要なこととは何か」といった極めて根本的な事柄にむきあうことになる。  「アジャイル開発」であれば、「仕事をする = 開発する」であるから、「そもそも開発とは何か?」という問いで立ち止まったり、ウンウン悩み始めることは少ない。「開発する」ことについて持ち合わせている知識を元に、アジャイルに向き合っていく。  しかし、文脈が開発から離れた場合、たちまち怪しくな

透明性、検査、適応を3ヶ月やり通した先に得られるもの (ただし骨折において)

 左足第5中足骨骨折から実に10週が経過した。  ようやく、2本だった松葉杖が1本になり、装具(ギプスの代わりになるもの)を外し、よちよち歩きを始められたところだ。2ヶ月以上固定していた足を生脚で地面につけるのは勇気が要る。自分の足でありながら自分のものではないような感触。ちょっと踏み損ねただけで、いろんなところに影響がでそうな繊細な足になっていた。  この骨折からあらためて思ったことがある。人間のからだはブラックボックスで、外部からはフィードバックを頼りにするシステムに

アウトプットと、アウトカムと、インパクト

 引き続き、ソフトウェアと、プロダクトと、システム(系)を巡る話。  プロダクト作りにおいては、「アウトプット(結果)とアウトカム(成果)」が論点としてよくあがる。「アウトプットがあるかどうかだけに意識が向いていないか」「アウトカムに繋がるアウトプットや諸活動になっているか」という問いだ。  文脈としては 「単なる出力結果(機能開発)」vs 「アウトカム(ユーザー価値)」 や、 「収益」vs 「アウトカム(ユーザー価値)」 といった二項で議論されることが多いだろう。「ユー

ソフトウェアと、プロダクトと、システム(系)

 前回、「つくる」の解像度を上げようという話を書いた。  「ソフトウェア」という概念を、あえてエンジニアリングの視点に振り切らせると、「プロダクト」とは、ソフトウェアでその中核をなしつつ、ユーザーやビジネスという視点を組み入れる範疇ということになる。  ここで、「いやいや、ソフトウェアにも当然ユーザーの視点があるでしょう」という見方が出てくるが、そこで「ソフトウェア」と「プロダクト」の境界をあいまいにすると、扱いがぼやけるため分ける。ここでは「ソフトウェア」とはエンジニア

「つくる」の解像度をあげる

 「解像度をあげる」とは、より見分けられるようになるということだ。同じようなものと捉えていたことを明確に区別できる。理解の「密度」が高くなる。だから、言葉でより説明ができるようになる。  それはただ単に細かいことをあげつらうということではない。区別できるようになった上で、さらに統合する。共通するところと、異なるところを比較して、区別する前の「全体」として言えることをまた生み出す。個別だけではなく、全体として解釈できるようにする。  このことを前提として何を言いたいかという

その帰り道で、一人何を思うか?

 デブサミに登壇した。  2020年以来のリアル開催ということで、久々の場だった。今回はいつもの雅叙園ではなく、羽田空港。その場の違いがかえって20年前の初回、デブサミ2003を思い起こさせてくれた。  デブサミには他のカンファレンスに比べて、内輪感が少なく感じる。それだけ多種多様なテーマ、人が集まる場になっている、と言える。デブサミは「誰にとってもアウェイ」。20年かけて、参加者、登壇者、コンテンツ委員、スポンサーと一巡してきても、やはりアウェイ。いつまでもアウェイ、そ

「アジャイルとは何か」を説明する

 「アジャイルとは何か」ということを、先日語らせて頂いた。また、ずいぶんと根本に返った話を今更と思われるかもしれない。ただし、「アジャイルとは何か」、このことについて会話した相手は開発者、開発チームではない。日常で開発には携わらない方々だった。  そうした方々に向けて、アジャイルなるものを語る。それがいかなる経緯で今に至り、われわれに何をもたらし、どこへ向かおうとする営みなのか。その本質を語ろうとするのは、簡単なことではない。それでも、このところそうした機会を積極的に作って

プロダクト作りのその先にある、システム作り

 ProductZineのWinterイベントでお話したこと。プロダクト作りのその先にあるシステム作り。ここでいう「システム」とは、ソフトウェアのことではなく、「構造」「仕組み」「系」としての意味。  PSF→PMFの到達を得ることが、われわれプロダクト作り屋の本懐であり、最大の山場になる。その一方で、この両者が成り立つほど簡単なProblem(顕在課題)というのは、そう転がっているものではない。つまり、ビジネス規模が大きく期待できるほどの顕在課題はそもそも誰かが既に解決し

「成果とは何か?」 からむきなおりする

 「成果」とは何か? 組織のあり方を変えていくのは、まず「成果」とは何か?から考え直すことだろう。特に、最近そのことばかり考えている。  「何をやるか?」ではなく、「何が成果なのか?」ここから問い直さなければ、何をしようとしても合っているかどうか判断つかない、何をしても良かったのかどうか評価できない。考えてみれば単純なことだ。  ところが、組織で考えると途端に難しいテーマになる。これまで捉えていた「成果」の中身を変えることは、組織のシステム、マネジメントを変えることになる

環境から切断し、自分自身を通して考えるということ

 引き続き、足を骨折している話。  足の骨の一部が少し折れたくらいの認識だったが、不自由さは格段に上がっている。単純に、ケンケン歩きを24時間、n日間求められることの苦痛を想像すればだいたい合致する。一歩一歩が常に不安定。もう1回こけたら立ち直れそうにないため、慎重に慎重を期す。もちろん外に出る気もうせる。  どうしても外に出る際は腕(松葉杖)を第3と第4の足代わりにする。この「松葉杖をつく」ということ自体が筋トレに等しい。歩く、すなわち、筋トレという日々がどれほど気を挫く

終わらない2023年と、「這い回る」経験主義

 気がついたら2023年が終わっていて、2024年も始まって久しい今日を迎えている。何が起きたのかをようやくふりかえりする気持ちになれてきた。  2024年はいつになく心穏やかではない始まりとなっているが、私自身は今年を迎える以前から気落ちする日々を始めている。昨年末のきわに、不注意から足を骨折するという終わり方をしており、この年末年始は常にソファーの上の人。全く動けないときこそ、普段考えないことに頭を働かせよう。俯瞰してモノを考えよう…なんて気にもなれず、悶々と時を過ごす