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強い紐帯の弱い紐帯化

強い紐帯、弱い紐帯

 強い紐帯弱い紐帯という概念がある。よく知っている間柄を強い紐帯、それほどお互いのことを知っているわけではない間柄を弱い紐帯と呼ぶ。グラノヴェッターという方が定義した。

 強い紐帯は同じ志向の人間が集まるので似たような情報が集まりやすく思考が均一化していく傾向にある。弱い紐帯の方は異なるコミュニティに属していたりして、新しい情報を得られる可能性がある。これを「弱い紐帯の強み」と呼ぶ。

強いはずの紐帯が弱い紐帯化する

 職場、家族は強い紐帯の代表例といえる。何か物事を進めるにあたって、強い紐帯は原動力になる。自分ひとりですべてを背負い込むのではなく、肩を並べて物事にあたっていく感じだ。弱い紐帯(知り合いレベル)ではこうは行くかない。しかし、この強いはずの紐帯が機能しないということが、環境づくりによって起きうる。

 その一つのケースがリモートワーク。職場という強いはずの紐帯が、リモートワークという働き方によって職場が分散し、弱い紐帯化してしまう。これは完全なるリモートワーク環境(全員リモートワークで、基本的に集合しない)の場合、より顕著となる。

 そうした環境で、強い紐帯時代の理屈を持ち込んでいるとストレスになる。「なぜ、同僚にもっと関心を払わないの?」「なんで誰も反応しないの?」などなど。一つの空間を共有していた頃は、自ずと同僚は目に入るし、誰かと誰かが笑い声をあげていたり、怒鳴っていたら、自ずと注意がそこに向けられていた。

 だがリモートワークでは、いちいち所作に意識が必要となる。チャットで文字を打って表現しなければ何も伝わらない。流れてくる文字を読み、その背景を想像して、適切な反応を取らなければならない。だから一読よく分からず、それほど深刻そうには思えない(と自分には読める)ものはそのままスルーしてしまう。

 これらをきっちり受け止めようとすると、同席環境に比べて圧倒的に自分の意思の量を高める必要がある。同席環境と同じように振る舞うには、コストが高くつくのだ。このことを認識できていないと(つまり環境の変化についていけてないと)、弱い紐帯化した環境で強い紐帯行動を取ってしまう。そして、期待外れでお互いの関係の質は落ちていく。

共感依存から理解の共通化へ

 強いはずの紐帯(職場、家族)が機能しない、というのは働き方や価値観の多様化でこれからも広がっていくだろう。強い紐帯の弱い紐帯化に備えるには何ができるだろう。

 一つは、関係性を共感依存で構築するのではなく、理解の共通化をベースとすることではないか。言わなくても分かるでしょ、感じ取ってよ(「なんでわかんないんだよ!ふつうこういうやりとりだったら分かるでしょ!」)を頼りにしない、関係性の中心に置かない。中心に置くのは、理解。お互いの理解を地道に積み重ねることを前提に置く。

 もう一つは、弱い紐帯化に振り切ること。「強い紐帯の頃はこうだったのに」で尾を引っ張られないように。弱い紐帯である、という前提に立つと弱い紐帯なりの繋がり方、同期の仕方を模索するよりほかなくなる。「強いはずの紐帯で、どうやって強い紐帯を維持するか?」よりも「弱い紐帯でも、気持ちよく仕事ができるためにはどうできるか?」の方がアイデアが出しやすくないだろうか。

 最後に、そもそも自分で環境を選択するということ。人が働く環境の弱い紐帯化についていけない問題は、簡単に解決できるものではない。働き方の常識を壊すことが求められるからだ。だから必要なのは問題解決ではなく選択なのだろうと思う。自分に適した働き方(同席?リモートワーク?)は何かを慎重に見極め(試行してみるに如かず)、その働き方を提供している場所を自分で選ぶ。環境に正解を求めようとしても、おそらく思うようにはならない。

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