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アウトプットを、ともに背負う。

 自分の仕事を分けると大きく2つになる。クライアントがいる仕事か、自社のプロダクトづくりか。前者は、自分の知見が既にある事業領域であれば貢献することが楽しみであるし、見知らぬ世界の領域だとその世界自体を知る楽しみがある。仕事の出発点でも着地でも感じられる、クライアントやチームとひと仕事やり遂げた感じ、ともにつくる感が好きでこの仕事を続けているところがある。

 仕事を終えたら、その過程を含めたアウトプットを世間に公開するかどうかで、一山調整がある。基本的には公開できない。特に新規性の高いプロダクトづくりが多いため、様々な事情から出せない場合が多い。

 私としては、綺麗に整った形、結果ではなくとも、その仕事をともに成し遂げたという達成感の表現と、「ともにつくる」感じをより多くの人に知ってもらうために、出来ることなら公開したいと思う。言ってみれば、作品の「エンドロールに自分の名前を載せる」ような。

 逆の立場に立つこともある。ともにした仕事を「オープンにしていいですか」と関係者に聞かれて、断ることはまず無い。で、公開される側の立ち場に立ったとき、これは具体的な利があると感じた。なぜなら、これは「自分のアウトプットに自信を持ってます」の表明に他ならないからだ(当たり前だが自信が無いものをわざわざ自分の作品として公開しないだろう)。

 作り出したアウトプットを一緒に背負った感じがある。これは仕事を依頼した側、つまりアウトプットに全責任を背負っている側からすると、一蓮托生までは行かずとも仲間が増えた感じがする。こうして一緒に背負ったのであれば、目の前のアウトプットにだけに限らず、これからの関係性においてもきっと無下にされることはないだろうと期待を持ってしまう(ただ単に実績をかき集めているような人でなければ)。

 だから、アウトプットを公開するというのは相応の覚悟が伴うことがあるのだけど、それも事前のモノづくりに緊張感を与えてくれるということで利点になる。Opennessには価値がある。

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