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モノに宿る記憶。

「次は、配達かな、それとも集金かな。」

 軽トラに近い、古びた荷台付きトラックが前を走っている。それにぴったり追走する形で乗り心地の良いプリウスが後を追う。私は、後部座席からフロントガラス越しに前をはしるトラックをじっと見つめていた。運転する若者は当然わかりようがないので、あいまいな笑みで返事をする。

「しかし、注意深くみると、意外と町に電気工事屋さんってあるんだね。」

 私はトラックが止まったところのお店を眺めながら若者に同意を求めた。

「ええ、私もこの仕事に就いてから、注意するようになりました。結構あります。」

 ほぼ1日荷物運びのトラックを追いかけまわすために、車内という密閉された空間を共有することになった我々2人は最初の頃に比べるとずいぶん会話ができるようになっていた。

「ちょっと荷物おろし手伝った方が良さそう。」

「そうですね。」

 …いったい何をやっているのか?まるで、重要な秘密の物品を運ぶ対象を、後ろからこっそり監視するスパイのようだ。もちろん、スパイではなく、われわれがやっているのは現場観察だ。

 業務用製品の配達を、営業車に張り付く形で観察させてもらっているのだ。その目的とは、業務カイゼン。多くの場合開発部門に導入する「スクラム」という開発手法を営業現場で活用できないかというオーダーだった。

 では、(プロダクト)バックログを皆で出して、スクラムイベントを開催しましょう...なんて初めた日には、言うまでもなく上滑りして失敗する。まず何よりも現場を見なければならない。そのために最前線まで来ているわけだ。

 しかし、ふと考えてみると奇妙な行為と言えた。古びたトラックで荷物を運ぶ。到着したら取引先とのいつもながらのコミュニケーション。営業と事務方のせめぎあいにも似た、協力関係。どれも彼らにとっては、いや、彼らのはるか前の先輩の世代から普通にやってきたことだ。使っている道具も実はそれほど変わっていない。伝達の手段は相変わらず電話が主力だ。

 そうしたいつもの日常、いつもの仕事が、とても非効率になっているのかもしれない、という問題意識がほんのわずかに芽生えて。問題は何かと、外部からやってきた得体の知れない者(私)が、現地現物を大掛かりに観察する。

 例えるなら、食卓を家族で囲んで団らん、夕食を食べる状況をその背後から「なるほど箸でつまんで食べるやり方か」「ご飯はおひつに入れて水分を飛ばす作戦か」「上座は父親。席順でその集団の絶対的力学が表現されいている」といった大仰な感じで分析するかのようだ。まさに文化人類学的に。

 だが別の角度から考えてみると、そうでもしなければ変えられない状況があるということなのだ。それはおそらく日本の、多くの仕事現場で言えることではないか。

 やがて、トラックの運転席の隣に座れるチャンスがやってきて、ぴったり同席させてもらうことにした。視線を少し上げると、盆地を囲む山々の稜線がやさしく見える。

 営業の方は、おそらく私より10歳以上年上。ベテランだ。他愛もない話に始まり、あれこれと仕事についての話を探索的に行う。仕事の中身を聞いているうちに、急に自分の父親のことを思い出した。

 私の父は、かつて業務製品のアフターサービスを手がけるメーカー子会社にいた。もう退職して20年近くにもなる。父の記憶が唐突に、鮮明に、頭をよぎる。

 暑い夏。蚊取り線香の匂いを充満させた部屋は、父親のタバコの煙が混じって、うっすらと白味がかっている。私はこの匂いが好きだった。中年になった父が昔話をする。修理で現場をかけずり回っている、若い頃はそら大変やった。夏のカンカン照りのときになあ、クーラーを運ぶんや。重たいし、暑いし。クーラーはよう故障するんや。飲食店やと、ほっとくわけにもいかんやろ...。

 そういう話を繰り返し聞いた。営業の方に、父親が務めていた会社の名前を聞いた。よく知っているという。

「修理は修理で大変やと思うよ。暑いし、重いし...。」

 いっこうに目的地につかないまま、盆地をひた走りながら思った。父親が運転するトラックに乗ったら、きっとこんな感じだったのだろう。ひっきりなしにかかってくる電話(当然いまの時代は出れない)。車内は雑然としていて、見積書や図面が積み上がっている。そんな中にお客様に渡す真新しいカタログがあって、異物感を放っている。昔は、タバコの吸い殻で溢れていただろう。夏のあの匂い、最近吸ってない。

 隣で、嬉しそうに自分の仕事を語っているのは、私の顧客なのか、それとも父親なのか

 帰りの新幹線の中で、思い出したように私はメールを一通父親に贈った。

「仕事やってて、一番うれしかったことって。何?」

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