見出し画像

違和感の先を、覗きに行く。

 「違和感がある」という言葉の手前と、その先では、その感覚への向き合い方に大きな差が生まれると思う。

 違和感、つまり、何らかの対象について、嫌悪感あるいは何かひっかかりが感じられる。そうした感覚は、意思決定の際一つの要因として働く。時に、自身が思っている以上に、大きく。自分の信念とか嫌悪感は、無意識で選択肢の絞り込みに働いている。そのこと自体に気づくのが難しい。自分が気づけていないのでは?ということに自力で気づくには視点の操作が必要になる。

 自分の感性を信じて行く、というのももちろん一つの判断。その結果として何か失っているものがあったとしても、「自分は自分、それで良しとする」という判断を他人がやいのやいの言えることは無い。

 ただし、本人の判断、背後にある志向性と、自身を取り巻く環境世界との間には特に関係性が無いということも捉えておく、事実。「本人の好きにすれば」でいくのは何の問題もないが、それが自身を含めた環境世界の中でも最適であるという担保は当然のごとく、ない。

 自分の好きにして、自分は満たされた。一方、環境世界においては、特に成果に繋がったわけでもない、何かの状況が変わったわけでもない、という結果にはどう向き合うか。それが、自分以外との対話のはじまりになるだろう。

 むやみに結果を出してしまう前にできることはある。自分の感性に基づいて判断する一方で、その様子を見るもうひとりの自分を置いて、彼(自分)と対話してみる

 なぜ違和感を感じるのか? 好き、嫌いの根っこに自分は何を感じているのか。言葉にしてみる。言葉にできなければ、音にしてみる(ゴゴゴゴゴッ、ズキューン)、イメージ絵(ラクガキ)をかいてみる。そして、またそれを眺めて言葉にしてみる。繰り返す。

 その自分との対話に今度は他者を巻き込む。言葉を音を聞いてもらう、イメージ絵を見てもらう。身振り手振りから感じてもらう。相手から言葉や音の強弱、あるいは表情、反応を受け取り、また自分の中で対話する。

 そうした対話が自分の現在位置を進める。「違和感がある」の言葉の先の世界にきっと、居る。手前の世界とでは、見える風景も違うだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?