4/8〜4/14
4/8
無性にマックが食べたくなって、仕事終わりにテイクアウトしてきた。
ちょうど期間限定でサムライマックのパティが3枚入っているやつがあったのでそれにした。
めちゃくちゃ美味かった。
『食べ応え』ってこういうことを指していたのか!って初めて体感できた気がする。
(ごめん初めては嘘かも)
月曜日を乗り切った身体に肉塊由来のエネルギーがみるみる充填されていく感じがした。
が、終盤、比喩とかではなくマジで一時的に身体の脈が早くなって呼吸が苦しくなる瞬間があった。
お腹が空いてたのもあって、凄い勢いでありついていたから身体がビックリしてしまったのかもしれない。
流石はサムライ。
隙あらば身体への攻撃性あり。
4/9
僕の好きなざっくりYouTube
今日見たこの回がめちゃくちゃ面白かった。
企画としては、後藤さんがツッコミとして言いたいフレーズがあらかじめ用意されており、街ブラをしながら他の3人がそのツッコミを言わせるためのボケを即興で繰り出していく、というものである。
その中のツッコミフレーズとして、これが出てきた時にめちゃくちゃ笑ったし、なんでこれを言いたいのか分からな過ぎて最高だった。
あとは全体を通して、岩尾さんのボケが面白かった。
岩尾さんのボケって本当に綺麗というか、王道で勝負していてちゃんと面白いから実はかなり凄い人だと思っている。
笑いが起きる瞬間って、基本的にはボケた瞬間ではなく、そのボケに対してツッコんだ瞬間がほとんどだ。
まあボケた瞬間に笑いが起こるケースもあるが、それは、ボケがあまりに突拍子もなかったり、何らかのハプニングを含んだボケだったりした時だと思う。
なんというか、本線とは少し外れたなんやかんやも含んだ笑い。
だけど、岩尾さんのボケはちゃんと再現性のある王道のボケで、ボケた瞬間(ツッコミが入る前)に笑ってしまうことがあるくらい面白い。
それくらい個人的にツボなのかもしれない。
まあM-1王者なので面白いのは当たり前だし、今さら僕がこんなとこで熱く語っているのも気持ち悪いが、世間的には後藤さんのツッコミばかりがフィーチャーされている気がするので…
痛お笑いファンですみません…。
4/10
なんとなく聴いていたラジオで、リスナーから届いたお便りが読まれていた。
ざっくり言うと、
「BTS好きなくせに日韓問題に興味がない奴はどうかと思う。」
みたいな内容だった。
そしてそれに対し1人のパーソナリティが
「めっちゃ分かる。
そういう人達は見たいものしか見たくない人なんだろうね〜。」
と言っていた。
そして他のパーソナリティ達も
「そういうことだろうね〜。」
と言っていた。
僕は、この一連のやり取りに全く共感ができなかった。
共感できなさ過ぎてむしろ感動すら覚えた。
BTSってアイドルじゃないのか?
アイドルのファンって見たいものしか見ない人達の代名詞じゃないか?
というかBTSのファンのボリューム層って10代20代の女性なんじゃないのか?
そういう年代の方々がアイドルの背景にある政治的問題に関心を抱くわけなくないか?
そもそも、情報が山のように溢れている現代社会において、その山の中から自分が見たいものだけを選んでくることって当たり前のことじゃないか?
義務教育でもないのに、わざわざ見たくないものを見に行かなきゃいけない理由ってなんだ?
ちょっと考えただけでも、こんなにも疑問が湧き出てくるのに、このパーソナリティ達は今僕が抱いた疑問の一つも抱かなかったのか?
と、一瞬で色んな事を言いたくなってしまったが、まあ考え方は人それぞれだからな〜ですぐに済ませた。
と、同時に色んな人の考え方を知ることができるラジオってやっぱ素晴らしいな〜と改めて思った。
ついでに、僕も大人になったなあと思った。
4/11
僕の持っているあるX(旧Twitter)アカウントが開設9年を迎えていた。
そんなに経ってるのかと驚いた。
僕はXが大好きだ。
Xが好き過ぎてアカウントが6個ある。
9年とか、6個とか、改めて数字にすると自分の根暗レベルが可視化された気がした。
根暗偏差値としてはまあまあ高いんじゃないでしょうか?
アカウントの内訳は
趣味:3、情報発信:1、お勉強:1、雑多:1
で計6アカウントという感じだ。
それぞれ用途が違うが、そのどれもに思い入れがある。
もはや使っているのは趣味の3アカウントくらいだが、使っていないアカウントも思い入れが邪魔をして消す気が起きない。
これらのアカウントを通じて実際に出会って友達になった人達がたくさんいる。
たぶん20人近くいると思う。
そう考えたら実は自分って根明なんじゃないか!?とも思えてくる。
Xで知り合った人は、その特定の領域に関して同じ熱量で語り合えるから良い。
普通に生活していてできる友達とはなかなか共有し合えない感情を共有できたりする。
それと単純に、普通に生活していたら絶対に交わらなかったであろう人と出会えるのが新鮮で嬉しい。
そういう人は価値観が自分と全く違うことがあるので、話をしていて面白い。
特に大学〜大学院までの6年間は当時のTwitter界隈の世界が居心地が良すぎて、そっちの世界に入り浸り過ぎていた。
おかげで6年も通っていたのに大学でできた友達はごく数名で、友達と呼べる友達はかなり少ない。
いや、Twitterの世界に入り浸っていたから友達が少ないのか、友達が少なかったからTwitterの世界に入り浸っていたのか…まあ、たぶんどっちも真実だろうな…
仮に僕が結婚して式を挙げるとしたら、
『新郎 大学時代の友人』のテーブルはスカスカなんだろうな…と、勝手に想像して勝手に暗くなってしまった。
であればいっそ、その枠を『新郎 Twitter界隈の友人』のテーブルにしてしまうのはどうか?
「同じサークルに入ってて〜」
「でもあのサークル(機能)なくなっちゃったもんな〜」みたいな会話をしておけば、側から見れば大学時代の友人みたいにも見えてくるんじゃないか?
いや、さすがに無理があるか…
と、なんかまた少し暗くなってしまった。
…やっぱり高そうですね、根暗偏差値。
4/12
今週の1冊。
こんなにも作者の体重を感じる物語って出会ったことがなかったかもしれない。
内容としては、重たい障害により背骨が湾曲した主人公が、健常者のことしか考えられていない世界に不平不満を吐き散らしたり、健常者同様に性的な経験をしてみたいと思い立ったりする話である。
この情報だけだとかなりヘビーな物語と取られるかもしれないが、ヘビーな情景をヘビーと受け取られないような、ユーモアに富んだ皮肉表現がバンバン出てくる。
そしてこの本は第169回の芥川賞を授賞しているのだが、その授賞式での作者のコメントがこれまた凄まじい。
これだけ怒り込めて書いた物語が評価されるって相当気持ちが良いのではないだろうか。
ハンチバックを読めば分かるが、本当に作者の体重の乗った怒りをひしひしと感じる作品だった。
基本的に怒りという感情は押し殺すべきもの、あるいは反骨心に形を変えてあげなければならないものだと思っていた。
それで言うとハンチバックは反骨心の要素もあるにはあるが、やはり大半は怒り寄りの感情から成っていると思う。
なので、明日からは僕も怒りを全面に出しながら生活しようと思う。
なんて、考えを持って生活していたら僕の周りの人間関係は崩壊するだろうな…
この世は一人一人が怒りという感情を押し殺すことで上手く回っているので。
怒りの感情からできた成果物で世間からの評価を得られるのは限られた特別な人だけです。
なのでしっかりと怒りを押し殺しながら生きて平和な世界を築いていきましょう!
4/13
カラオケに来ると必ず歌唱履歴を見る。
そしてその履歴からどんな人だったのかを想像してしまう。
どれどれ…
おお…
(BUMPは僕が一曲目に入れた曲なので)
彼らの〆はレペゼン地球だったのか…
男女複数人で来ていたのかな…
少なくともヒトカラではないだろう…
(仮にヒトカラでマル・マル・モリ・モリ!とか歌っている人がいたら怖過ぎるので)
にしてもやはり、レペゼン地球のチョコソンという曲が気になるな…
〆に歌いたくなるような曲なのだろうか…
どんな歌なんだろう…
おお…
…色んなツッコミが沸いてきたが、1番気になったところは歌詞が博多弁なところ。
彼らはその直前には関西弁ソングの『大阪LOVER』を歌っているし、さらに前には韓流ソングを歌っている。
色んな意味で幅が広い。
…なんか、一目見たかったな、どんな人達だったのか。
絶対僕は友達とかにはなれないタイプの人なんだろうけど。
見るだけ見てみたかったな。
4/14
近所を散歩していたら、公園のベンチで寝ているおじいさんがいた。
この日は天気が良くて、温かくて、昼寝にはもってこいの気候だったと思う。
いいなあ。
あのおじいさん。
絶対気持ち良いだろうなあ。
僕もお日様の下で昼寝したいなあ。
僕にも世間体とか気にしないハートがあればなあ。
今すぐここで横になるのになあ。
はあ。
邪魔だなあ。世間体。
あのおじいさんは世間体とか取っ払ったんだなあ。
いいなあ。
僕も早く取っ払いたいなあ、世間体。
そんなことを思いながら僕はいつも通り家に帰り、ベッドで横になり、世間体を抱いて眠り、世間体と共に起床し、世間体を守るために仕事へ向かうのだ。
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