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マイストーリー②家族を味方につけるために私が決めたこと


自分が我慢することがみんなのためと思っていた頃


次女を妊娠していた私は
9ヶ月の頃、24時間点滴に繋がれていました。

お風呂も3日に1回、トイレ以外は歩くの禁止。

この生活ももう1ヶ月くらいは続いています。

理由は
「切迫早産」と「胎児に栄養が行っていないため」

8ヶ月の段階で胎児の推定体重は1500g

体質だったか?
それもあるかもしれません。

結婚して、病院で勤務していた私は
医師事務という、医師のサポート的な事をしていました。

よく外来の診察室で先生の隣でパソコンを
カタカタしてる人です。

立ちっぱなしだったり、トイレに行く暇はありませんでしたが、、
午前中のみの勤務で、そんなに負担の少ない仕事でした。

悪阻はそれなりにあったので、その時期は這いつくばって仕事に行っていて、あまり記憶がないです。

記憶にあるのは、
「妊娠は病気じゃないからね?」
「悪阻は気持ちの問題じゃない?」
「女の人が出産することは当たり前だよ?」
「みんな頑張ってるんだよ?」
「お腹貼る…って、言われても困る。何?救急車呼べばいいの?」

旦那さんに投げかけられていた言葉。

家事と仕事をバリバリしていたお義母さん。
そんな姿を私に求める旦那さん。

ほんとにお腹が痛い時は「休みたい」と申し出るものの、ため息を付き、口を聞いて貰えなくなるほど
私の妊娠中の体調不良にご立腹でした。

しかし、私もお淑やかなタイプではない!笑

女性の出産て命懸けだよ?
こういう時は支えるものだよ?
貴方の子供を身ごもってるんですけど?

私の調子のいいときには
喧嘩ばかり。

その頃は「男と女は対等でいたい!」
そんな風に思っていた私は上手に
甘えたり、お願いができませんでした。

そんな旦那さんに対して

「本当に分かってくれなさすぎ!!」と
相手にばかり求めて、期待したりしていた、当時の私

無駄な体力の消耗にも気づき
私はその時決めました!

「私が完璧にやればいいんでしょ!?」

家事育児と仕事と妊婦生活。

仕事も私が休むと担当の先生が困るし
医師の難しい性格を把握し外来をスムーズに運ばすことがその時の私の使命だった。

現実逃避しがちだった私がつかんだものは...


なんでも「ならねばならぬな精神」で
けっこうすり減っていた頃。。

その頃出会ったのがポーセラーツというハンドメイド

元々作ることが好きだったり、
何か学んでいる時が好きだったりで
これから子供も産まれるので、自宅でお仕事するという形も今後の展開として考えていました!

午後からの週に1回ほどのレッスンでしたが
これだけが私の癒しでした^^

そして
先を見据えての学び。

出産までに資格を取得し、
産後はゆっくり子育てしながらお教室をしたいな〜
なんて、構想を練っていた私でした。

産休まであと少し!
ちょっと、子宮口開いてるって言われたけど…
それでも、
走り抜けよう!!

体は正直!母として失格な私。


そして、引き継ぎも終わり
産休入りし、ホッとしたのも束の間。

妊婦健診で捕まり、そのまま帰宅を許されず入院する羽目に……
速攻で24時間の点滴に繋がられるのでした…( ˃ ˂ )

もちろん、1番ショックでしんどいはずなのは私。

しかし、なぜかめちゃくちゃ機嫌の悪い旦那さん。

お腹が張ってるのに無理してたから子宮口が開いたこと。
ストレスがかかりすぎて、胎児に栄養が行ってなこと。

主治医の見解を伝えたものの…

自分の管理もできないのかと呆れられる始末。

洗濯物などを取りに来てくれたりする以外は
仕事で疲れているからと
お見舞いにもきてくれませんでした(泣)

今では、真逆の旦那さんになっているので
思い出しても不思議な感じがします。

そして、正期産に入る37週
やっぱり赤ちゃんは大きくなくて
点滴は保険が適用ではないとの事で外し
普通では、ここで出産までは帰宅できるはずだった!

しかし、私の赤ちゃんは小さい…
入院は継続……泣

早くお家に帰りたいと思っていたので
ショックでショックで。

というか、ショックすぎて??
そのままその日の夜に陣痛がやって来て
あっという間に出産したんですよね。

あの苦しい点滴に悪態をついていた私でしたが
めちゃくちゃ点滴のお陰で正期産まで
無事に過ごせたことに、医療の力を感じました~

で、赤ちゃんの体重は
2020g。

やっぱり、低出生体重児。

小さな小さな赤ちゃん
この世に誕生したことは嬉しさでいっぱいですが
何とも私の生活態度のせいかと、悲しさもいっぱい。

お見舞いに来てくれた私の祖母は
「小さく産んで可哀想!」
と、怒り気味。

この時ほど、自分を責めたことはないですね~

2020gの次女をは
体重が2400gになるまで退院はできず
私だけ一足先に退院
お家で搾乳し、それを持って毎日病院へ通いました。

私自身も産後の体がですが
もう、必死で必死で搾乳して病院へ通う日々
2週間ほど。

やっと退院出来て、小さいながらも
着々と大きくなっていき、少しずつ私の緊張がとれかかった、安堵と不安の時。

モラハラ全開!家にいて何するの?


主人が言い出します。。
「そろそろ生後6ヶ月だし、働くんだよね?」

いやいや、何言ってんの?!

普通に出産して生まれたわけじゃないし
6ヶ月で5000gほどの成長曲線の底辺を這いつくばっている状態。

一応育休中ではあるけども…
早く戻ってきて欲しいとは言われているけども…

保育園に預けたとしても、

保育料=私の収入

とかのレベルなら、3歳…せめて1歳までは
自宅で観たいという気持ち。

そして、マイストーリー①での
私のストレスから来る顔面痙攣。
そちらの治療や通院も考えているんだよね。

そんな思いの丈をぶつけた夜。

モラハラ旦那と、毒親による
粉々に崩れた、私のダークサイド第二幕(笑)

「働かずに何するの?」
「顔面麻痺?死なないよね?」

私の家族も含めての話し合いは
多数決により、私の仕事復帰が決定!

というより、私以外は仕事復帰を熱望。

そして、財布は別という
びっくりする状態にも
悲しみと絶望の中、
いろいろと吹っ切れた私。

ダークサイドからの這い上がり パート2


とにかく働きながら、家事と育児をこなす事が
大前提だったので
めちゃくちゃ働きました!!

午前中は病院
午後からはポーセラーツのお教室
週末はお友達のお店のお手伝い
3個の仕事を掛け持ちして、大変でしたが
それなりに充実していました。

しかし、
保育園に入った次女はよく体調を崩して
お休みしたり、早お迎えに行く私は
病院で頭下げまくってましたね。

おまりにも体調を崩しすぎて
病院に迷惑かけまくってるから、
たまには変わって欲しいと主人にお願いしました。

「俺は正社員だよ?」
「お前はパートだろ?いつでも休めるのがパートだろ?」

いやいやいやいや。

「そんな訳ないやん!!」
関西弁になるくらいのツッコミを入れたい!笑

そんな、まじでヤバめな旦那さんと過ごした期間は
私の社会人時代を遥かに上回るダークサイドが
待ち受けていました!

まだまだまだまだ(笑)
主人の名言と格言は山ほどあるのですが

その後、三女と四女と出産してだんだんと
その毒っけはなくなってきてはいます…

あ、でも四女を妊娠した時には
「お前に、ちゃんと育てられるわけ??」
と言われましたけど。

私と旦那さんは鏡の関係
何かで知ったか、読んだかは覚えていませんが、
ハッとした事は確か。

もう、めちゃくちゃ対話もしましたし
辛抱強く彼の話しや感じること、想うこともずっと聞き続けました。


夫婦って、私は同じレベルだと思っています。
よく、美女と野獣カップルとかいいますけど
見た目とかではなく、中身の部分にそんな大差があるカップルはいないと思っていて。

私がまだまだ成長できていない証拠が
旦那さんな気もしていて。

私が趣味から始めた、ポーセラーツのお教室は
お友達のクチコミなし、紹介なしで
Web集客のみで、毎月の予約はほぼ埋まり
たくさんの方にレッスンに来ていただくようになりましたが、

仕事を掛け持ちしながらの
家事育児の負担はけっこう凄くて……

私もずっと不平不満を極めすぎて
プリプリした塩対応妻だし
可愛くお願いも中々できず
ひたすら、自分だけが耐えればいいんでしょ?
と、可愛げのない態度や考え方。

そりゃ応援もしてくれないし、
お願いもされていないのに助けようとは思わないですよね。

もちろん、そんな旦那さんなので
資格取得に励んでいる時から「遊んでいる」
という認識が強く、どちらかと言えば
応援よりは馬鹿にしている感じでした。

疲れている姿より奮闘している姿を見せる!


お教室を始めて8年目ですが、
私が頑張ってる姿や悪戦苦闘してる姿をずっと見てくれているからか、、
少しずつ、認めてくれるように。

いつの日か気づいたんですよね。

相手に求めて、そこに完璧を求めるよりは
自分が自分で想う望む理想に近づける方が
よっぽど早いわ!!…って。

そう気づいてからは、仕事でもお教室運営も
ひたすら、私はやるべき事を。
良いと思っている事を。
ただひたすら実践していきました!

元々フットワークの軽い私は日帰りですが
県外へのスキルアップも頻繁に行っていました。

そんな私の学びの時には

新幹線の時間を調べてくれたり
子供の送り迎えをしてくれたり
あんなに「俺、正社員だから!」と威張っていた主人ですが(笑)
私の為に有給をとってくれたり
私のスキルアップの日程に合わせて家族旅行を計画してくれたり

寝る時間を削って、
予習復習を隙間時間にして
早起きして、同じ時間にSNSの更新をして
そんな姿を見てくれていたからか
私の真剣さや遊びじゃない感じが少しだけ伝わったのかな?

少しずつ、少しずつ、
認めてくれるように、応援してくれるようになりました。

誰だ??笑
と、最近では思うほどの優男に変身しています。

未だに、、男尊女卑やモラハラの黒い部分が
現われる事もあるのですが(笑)

その時は、逃げず怒らずひたすら向き合うように
心がけ、そのためには体力をつけています(笑)

お教室を始めて、すぐに軌道に乗ったけど
ビギナーズラックは誰にでもある!

でも、それを続けていくにはラッキーや運、その人の努力だけでは難しく、
継続するには家族の支えや応援が何よりも心強いと
実感したパートナーシップの大事さを
自分で始めたお教室で気づく事ができました。

そして、家族の応援を得るためには
まずは自分自身が本気になること、本気で取り組むこと
頑張っている背中を姿勢をちゃんと見せることで
身近な人がサポートしてくれる環境を自分自身で作り出すことができるんだなと、実感、体感しました。

お教室を主宰し、今では卒業生さんのサポートもさせて頂いている私ですが、
この家族の応援、サポート問題は
ほとんどの生徒さんの悩みでもありました。

パートナーシップのプロではないですが
家族や旦那さんと上手くいっていない人で
お教室運営が成功している方はあまりいません。

私こそ、家族や旦那さんに反対されながらも
信頼や応援を勝ち取ることができたので
逆に、自分が真剣に何かに取り組むことで
それを仕事とし、一生懸命することで
家族との仲も深まったと思っています。

ママや妻ではない、私という人格


4姉妹の母でもある、私ですが
「〇〇ちゃんのママ」
そう言われる事も嬉しいですが

愛先生!後藤先生!

そんな風に呼んでくださる生徒さんや周りの先生方との関わりで、「私」という1人の自立した女性として
存在できることが、今の私の幸せだなと感じます^^

そして、三女の妊娠発覚の時に
病院勤務は退社。どちらかというと妊娠したのでクビ

こちらも、まだまだ中小企業独特の
女性への差別や区別が根強いと感じております。

女性が社会進出してきている世の中ですが
まだまだ働き方に男女の格差を感じずにはいられない。

苦しみながら、悩みながら
会社員やパートとして働かれている方も少ないのではないかな?

今の状況や働き方を変えたい!
女性は妊娠出産があるからと、狭まれることなく
もっと自由に自分がやりたいことに一生懸命になりたい!

国家公務員、看護師、医者、もちろん主婦の方も
今までの生き方をガラッと変えに…

そんな方が、ポーセラーツのお教室へ資格取得を
目指してお越しくださいます。

私自身も、
お教室歴8年間の間に3回の出産を挟み
4姉妹育てながら、子供たちとの時間を大切に
大好きな生徒さんに囲まれて、毎日楽しく過ごせるようになりました。

毎月、ご予約いただき
地方でありながらも、ポーセラーツの年に一回行われる、売上上位の先生方のパーティーにも
毎年招待されています。

されど、8年!!
今でこそ振り返ると順風満帆ですが、
それなりにピンチやヘマや失態の数々…あります!

せっかく体験した貴重な失敗の経験を
どのようにプラスに変換して今に至るのか、を
次回のマイストーリー③にて、お伝えしていきたいと思います^^


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