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【備忘録①】フマレット2019【ネタばれ注意】

見てきました。東京グローブ座菊池風磨主演舞台「ハムレット」

とんでもなく良かったので、忘れないように今日感じたこととかすべて書いておこうと思うのですが、「普通にがっつりネタバレ」ですので、

まだ見ていない人は見ないでください。

これは文句言われても困りますのです。

これから!!っていうひとは、絶対に見ないでください。

「すでに見たよ」「みんなはどう思ったんだろう??」そういう人はよかったら読んでね。

またはものすごい後、2030年ごろに菊池風磨さんのファンになった方は読んでくれたらうれしいな。

「ええ、こんな舞台があったんだ…いいな…」って、思ってください。

【ステージ全体のこと】


・菊池風磨さんの複式呼吸

とにかくなりよりこれ。風磨くんの発声が全然ちがくて、『アッ…舞台人…』と胸がときめきまひた。もう、完全に舞台人の複式呼吸をマスターしてた。それがもうファンとして何よりめちゃんこ感動しました。

それにしても、やはり彼は舞台映えしますね、声も、顔も、体の大きさも舞台に向いている。表情も本当に繊細で、とにかく4時間あっというま。一時も目がそらせませんでした。今回はかなり舞台に近い場所で見た(E列29)ので、演技の細部まで確認することができたのですが…いやあ、本当に見れてよかった。

同行させてくれた友人に感謝…

【観客への配慮がすごい】


ハムレットといえば恒例の「登場人物見分けがつかず、途中でわけがわからなくなる」みたいなところだと思うのですが、今回の舞台ではあえて現代風な衣装を着せ、髪の毛の色や衣装の色で、視覚的に見分けがつくようにしていました。

たとえば、主人公ハムレットは金髪。王はわかりやすく王冠をかぶっているし、レアティーズはオレンジっぽい髪色、ローゼンクランツとギルデンスターンはド派手な色のスーツなど、とにかく特徴をつけて、視覚的な区別を意識しているように思いました。

正直衣装をみた最初は「え!古典っぽい衣装でやるの期待していたのになあ・・・」とがっかりしていたんですが、ふたを開けるとこれがほんとにすばらしい。混乱せずにストーリーを終えるありがたい設定で、非常に観客のことを考えた愛だなあと思いました。

【ステージの使い方がうまい】

グローブ座は回転式の舞台なのですが、はっきり言って上手下手正面の出入り口以外、セットというセットはありませんでした。(場面によってイスとか机が搬入されるだけ)

回転式の舞台って、ストーリーに関係のない動き多くて正直好きではなかったのですが、ハムレットはかなり演出がうまくて、役者の動きを最小限にしながらうまく舞台を展開させていく&主要なシーンで観客全体に役者の表情を見せるのにきちんとつかわれていました。

例えば、オフィーリアはハムレットに駆けよったり、兄に耳打ちをするために駆けよったりと、シーンシーンでお転婆な少女らしくせわしなく立ち位置が変わるのですが、対比である王妃ガートルードは最小限の動きしかしません。ガートルードは動きを抑えることで、気品を見せつつ、表情やしぐさで性格を出していく演技なんですね。(だからこそ、ベテランの女優さんにしかできないんですよ!!!この役って!!!ねえ!!!!!)

でも、「動かない」って演技は、通常の舞台では現実的ではない。状況をつたえるために動くことは舞台では必須です。でもだからといって、舞台上の足の運びを点から点の最小限のものにしてしまうと、演技臭くて嘘っぽい。

今回はそこが回転舞台によってフォローされていて、乗っているだけで彼女は登場人物に近づいたり、見せる体の角度を変えることができる。この舞台では、そうやって彼女の歩みが非常に少なく設計されているわけですね。(でも回転舞台って無意味に回転させても意味がないので、本当にきちんと計算しないと全然活かしきれない難しいぶたいなんですよん)

ちなみに、ハムレットがもがき苦しむシーンでは、ハムレットは舞台をとびまわり、机に乗ったり歩き回ったり、机をひっくり返したりと大きな動きを多く見せることで、舞台全体のメリハリをつけ、心情の高ぶりをうまくっ表現していました。

正直、計算しつくされた舞台使い。「天才かな??」


正直あのキャパの劇場で縦にセットを組んだら必ず死角ができてしまうので、今回は劇場の特性をうまく生かし、席を殺さないためにセットを最小限にしてくれたんだなあと思って本当に感激しました。いや、ほんとのとこはしらんけどね。

【初めてオフィーリアを好きになれた】

自分でもびっくりなんですけど、あれだけ「嫌い」と豪語していたオフィーリアに、私は同情し、涙を流しました。

南沢さんの演技がうまかったことも当然あるのですが、初めてオフィーリアという人物の考えに一貫性があって、苦しみ、死んだのだなということを理解したのです。人生28年目にして。

全体的に、全ての人物の言動が「古典」よりすこしだけ身近に感じられる、いい脚本だなと思いました。

そりゃもちろん古典作品なので、言葉も難しいし、設定が現代アレンジがされているとかそういうわけではないんだけど…表情ももちろん、観客がついてこれるように笑いどころもわかりやすく作られていて、終始感情移入しやすかった。まさかマジでハムレットでぼろぼろ泣く日が来るなんて思わなかった

南沢さんの演技、本当にすごかったなあ。

ということで、以下、1場から順に気になったシーンを思いのままに書き留めていきます。

【第二幕 第一場】レナルドーのキャラクターかわいい問題


勝ったパンフレットを終演まで見なかったので、登場人物が出てくるたびに「誰が兼ね役なのかなあ」という目で見ていたのですが、ポローニアスからレアティーズの監視を命じられるレナルドーのキャラの強さに絶句(まだどんな舞台化わかっていなかったので、まさかサングラスのキャラが出てくるとは…この、甲冑の時代に…しかもしゃべり方がふざけている…」と)

個人的に、このシーンで笑いが起きることはないと思っていたので…

この口調の真似という形で、ほぼ台本通りのセリフなのに観客を笑わせたのは、演出家の技量だなあと思いました(ここで、あ、笑っていいんだ、という雰囲気が観客にも生まれたから、その後のシーンで素直に笑えたようにおもう)

【第二幕 第二場】ローゼンクランツとギルデンスターンの衣装天才問題

これにかんしてはマジで天才だと思いました。ローゼンクランツとギルデンスターンって、結局死ぬし、役割としては悪の手先みたいなポジションじゃないですか。そんな二人に赤と黄色のスーツとハットを選んだ衣装さん、本当にあなたは天才です。

一目見て「こいつら絶対わき役」ってわかるし、次に出てきたときも「あ、王の手先だ」「ハムレットに信用されていない人たちだ」ってすぐにわかるので、話を理解しやすかった。本当に素晴らしい衣装さんがついているのだなあ最高!!と思いました。

【第二場 第二幕】ガートルード安蘭けいさん圧巻の悪女


ガートルードは本当にすごかった。さすが宝塚主席卒業、菊田一夫演劇賞受賞者は違う。まず、セリフの活舌と音の通りがすごい。

ハムレットではみんなはマイクをつけていなかった(つるされてたりステージ前についてるのかもだけど、私の席(E列29)には亡霊以外の声でマイクを通した音は聞こえてこなかった)ので、後ろを向くと全然なにいってるかわからなくなっちゃうところもあったんですが、安蘭さんはそれがまったくない。ほんとすごい。

あと、やっぱりその演技力よ…

ハムレットが狂った原因に関して王とポローニアスと話していて、ガートルードが「原因といっても――父親の死と、私たちの急ぎすぎた結婚以外には思い当たらないけれど」というセリフがあるじゃないですか。

このセリフの言い方が、もう一瞬で観客に安蘭けい版のガートルードの性格をすべて教えてくれるんですよ。めんどくさそうに、あきれたように、あれ、この人はこれだけハムレットが思い悩んでいる近親相姦という事実をすごく軽く考えていないか?お嬢様育ちの、民衆の気持ちには微塵も寄り添わず、自分の順位をかなり高く設定している女性っぽいゾ、というのが、本当にこのたった1セリフで伝わるのだ。

本当に天才。宝塚は裏切らない。


そして劇中、ガートルードって、しきりに手に持ったグラスの酒を飲んでいるんですよね~。これもひっかかった。その頻度が、王の比じゃないの。

そこが、「あれ、この人は酒で死ぬことを暗示しているのかなあ」とか…。

あとは、ほんとうにすごく表情が豊かで、「やっぱり王妃はラストで毒が入っていることを知らなかったんだな」とか「ああ、この人は夫が毒殺されたこともやはり知らなかったんだな」とか、「ハムレットのことを愛しているけれど、この人は息子のためには死ねない母親だな」とか、そういうのが手に取るようにわかる。ほんとにガートルードにふさわしい女優さんだなと思いました。

【オフィーリアの恋文】設定の細やかな変更

王と王妃に、ハムレットの恋文が読み上げるシーン、シェイクスピア版だと、ポローニアスがすべて読み上げるのですが、舞台版だと、途中まではオフィーリアが読み上みあげ、泣きながら途中で去るんですね。

(これ、私知らないんですけど、そういう版の脚本がもともとあるのかな…?)

とにかく、ここでオフィーリアが戸惑いを見せながらハムレットからの恋文を読み上げ、途中で泣いたことで「あれ、この子いいこじゃん」と、原作より相当私の胸に響きました。

なんというか、「ああオフィーリアにも葛藤があったんだ…」というあたり前のことに気が付いたというか…これは、結構ぐっときたシーンでした。

【ハムレット王子の狂気】頭に着けた花飾り

ハムレットがキチガイになった、というシーンの登場で、ハムレットは頭に花飾りをつけていました。風磨君の演技もおかしくて相当笑いをとれていたんだけど、正直この花飾り、私は見た瞬間から胸が少し苦しかった。

狂気を装い、通常に戻るとき、ハムレットは花飾りを頭から外し、それを投げ捨て、椅子に当たって床に落ちる。何となく、全てが暗示のような気がしたのです。

なぜなら愛するオフィーリアは、花飾りを作って、それを枝につるそうとして川に落ちて死ぬんです。

花飾りって、私はハムレットの中でかなり大きなモチーフになっている気がして、見ると二人の心のすれ違いや消えてしまった将来を思って、少し胸が苦しくなります…

【ハムレットの暴力】ローゼンクランツとギルデンスターン

ハムレットはローゼンクランツとギルデンスターンに王の差し金であることを確認する際、え…というほどの暴力をふるう。

セットの長机の使い方が非常にうますぎるその暴力に、「ここ、こんなわんぱくないシーンなの!?」とびっくりした。いや、シェイクスピアの脚本はト書きがほとんどないから、どんな演出が来るかってマジでわからないわけですよ。でも、私はこのシーンで、ハムレットの狂気と対面したような気がする

ハムレットって、いろんな性格があるような気がしていて、聡明で冷静な部分と、狂気で暴力的手一人よがりな人格が同居している。その二面性が、ここでちらりとみえたような気がして、「あ、危ないなこのハムレットは。繊細過ぎて壊れそうなほど不安定なのに、力があって、やりとげる力と自信がある、危ない人だな」と思いました。

【オフィーリアとハムレットの決別】

「尼寺へ行け」の問題シーンである

いただいたものを返す、というオフィーリアに対して、「お前を愛したことはない」とハムレットが冷たくするシーンだが、ハムレットはオフィーリアから返された手紙を目の前で破くことではとどまらず、オフィーリアの髪の毛を引っ張ったり、つき飛ばしたりと暴力的な扱いをする。

オフィーリアが泣きながら手紙のかけらを拾うシーンで、私はすでに一緒に泣いていた。

正直、舞台をみるまでは「父の言いなりで手紙を突き返すなんて、オフィーリアってひどい奴だよなあ」とずーーーっと思っていたのだけれど、あまりのかわいそうでけなげな様子に、涙が出たし、

愛するオフィーリアに後ろから縋りつかれた時の、観客からは見えないハムレットの表情を思って、私はぽろぽろ泣いてしまいました。

ハムレットはやっぱり手紙を返されたことはショックだったと思うし、この瞬間は確かにオフィーリアへの怒りもあったと思うし、でも、愛しているから抱きついたオフィーリアをふりほどくまでに少しだけ時間があった。

あーーーーーーーーーーーーーーーーつらいな。

オフィーリアもハムレットも、王のたくらみさえなければ、幸せになれていたんだろうな。とか。そんなことをおもったよね

あしたも仕事なので、今日はここまで。

続く





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