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【考察】こどもの一生①

先日、松島聡くん主演舞台『こどもの一生』を観劇したのですが、『え?どういうこと?!』と思う点(主にオチ)があったので個人的な考察をしてみました。

※舞台自体の感想はまた別に残そうと思うので、今回はあくまでも、『ストーリー考察』をしていきたいと思います。


※※※以下ネタバレ注意※※※


■なぜみっちゃんはもとに戻らないのか?

今回の舞台の謎はここにつきる。

『なぜ山田のおじさんが消滅したのに、みっちゃんだけが元にもどらないのか?』

他の全員は生き返ったのに、なぜ山田のおじさんがみっちゃんに与えた影響(お風呂で溺れさせ殺そうとした)だけはなかったことにならなかったのか。

観劇後残ったモヤモヤはこの点である

ちなみにこの【みっちゃんだけはもとに戻らない】という展開は中島らもさんの小説にはない。

小説版ではみっちゃんも元気になって、柿沼との関係性が改善されるエンドなのである

この舞台は過去も若干オチが変更されているようで、恐らく前作を見ている、または小説を読んできても楽しめるような工夫である。

では、そのオチ以外に今回のこどもの一生ではどんな改変がなされていたのか。
さっくりと下記にまとめていく。

①柿沼の二重人格設定は小説版にはない
→小説版では柿沼は二重人格ではなく、単に武闘派。三友に頭が上がらないだけで、解離性障害ではない

②島に流れついた兵隊エピソード/こっくりさんエピソードは舞台オリジナル
→【なぜ山田のおじさんが生まれるのか】を説明するための工夫とおもわれる

③登場人物の設定が変更されている
→年齢、職業、病気などにいくつか相違があるものの、時代に合わせてリライトされていることが原因
また、それに伴い小説版の恋愛要素なども欠落

④三友と柿沼に出された心理テストは原作にはない
→井手ちゃんと医師からだされた心理テストはサイコパス判定をするためのもの。エピソードとして三友の人間性を補完するためのものとおもわれる

上記のような変更点があることを踏まえ、今回の舞台の謎を検討していきましょう。

■【山田のおじさん】はなぜ生まれるのか

こっくりさんのエピソードからわかるように、人の『こうあってほしい』『こうではないか』という思いが『本来ではそこにないものを生み出す』ことに繋がっていく、というのが今作の本質である。
作中、柿沼と藤堂が『目に見えないボールを投げて、それを相手が避ければそこにボールは存在する』とやり取りをしたが、こっくりさんもまた、『祟り』という『存在しないもの(こっくりさん)が生み出す存在するもの(祟り)』を生み出すのである。

この思い込みの力こそが、山田のおじさんを生み出したのである。

では、山田のおじさんはいつこの世に生まれたのだろうか?私は2つの仮説を持っている。

(1)子どもたちが想像することで『山田のおじさん』が初めて発生した

作中の子供達の作ったデータをもとに、初めて山田のおじさんが生まれたという説である。
『3日前から灯台にいる』というおじさんの証言とも合致しており、普通に捉えればこちらが正解だろう。

(2)かつて島に流れついた兵士が生み出した『仲間の幻想』が、人々の望む姿に変わりながら存在し続けており、山田のおじさんになった

最後のシーン、兵士は生み出した仲間の幻覚に触れることができた。

つまり、そこに『存在しないものが発生してしまった』のである。

山田のおじさんは作中、井手ちゃんに『憎しみや友情みたいな思いが強ければ強いほど私の存在はクッキリするんです』というようなことを言っている。つまり、『存在する何か』が、みんなの『想い』によって形を持ち、山田のおじさんという特定の存在になったのである。

つまり山田のおじさんは、山田のおじさんたる前から灯台に『何か』として存在し、誰かの思いによって形作られるのを待っていたことになる。

私は今回、こちらの立場に立ちたいと思う。

■なぜみっちゃんだけが復活しないのか

いままでのような流れを踏まえて、これに関してはいくつか説を唱えたい

(1)山田のおじさんが原因ではないから

これは、『みっちゃんが本当に心臓発作で溺れていたから』という説である。
みっちゃんは柿沼の分もきのこをたべたことで、ひとよりも『自分は10歳である』という思い込みが強かった。そんなこどもに『血圧の薬』を飲ませることはむずかしい。
つまり、山田のおじさんの手で沈められたわけではなく、単にのぼせて溺れたため、死の淵から生還していないという説である。
ただしこれは、『みっちゃんも先生も井手ちゃんも殺った』という山田のおじさんの言葉に反することになるので可能性は低い。

(2)井手ちゃんの藁人形の効果説

井手ちゃんは作中、三友のことを『死ねばいいのに』と言い、藁人形を作っている。
井手ちゃんのこの呪いが効果を発揮しており、山田のおじさんが消えたあとも残り続けている説。
また、医者と井手ちゃんはみっちゃんが嫌いなので『井手ちゃん普通に殺してる説』もあるが、めちゃめちゃ陳腐なので否定しておく

(3)山田のおじさんは消えていない説

山田のおじさんは『こうあればいいのに』『こうあるのではないか』という思いによって形作られるの『常に島にいる何者か』とすると、『殺人鬼としてみんなを追いかける山田のおじさん』が消えたあとも、『思いを吸収して実現する存在』としては島に残り続ける。

この説を採用すると、

未だに『みっちゃんなんか死ねばいいのに』と考えている存在がいるということになる。


では、誰がそのようなことを考えているのだろうか?

※あまりにnoteが重くなって動作が悪くなったので、その2に続こうと思います!ごめん!

https://note.com/papipupepoyonp/n/n8cd6fc1ba95a

 





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