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東京


美恵子は東京駅にいた。ミドリと会うためだ。美恵子が大阪で一人暮らしを

していた頃、ロック系の雑誌のファン同士の交流ページで、同じアーティ

ストのファンだということがわかって、そこからメールでの交流が始まっ

た。

美恵子は、夜行バスで東京駅に急いだ。そこから電車を乗り継いで日比

谷の野外音楽堂で落ち合った。。野外音楽堂の毎年恒例のライブで、もう三

年は連続して一人で行っていたのだが、今回は現地でミドリに会えるのがう

れしかった。

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ミドリは、三人の友人と連れ立って参戦していた。ライブの始まり

の時に少し挨拶をし、また帰りに少し挨拶をしただけだったが、大きなはっ

きりした瞳と落ち着いた黒髪で、少し吊り上がった目が印象的だった。メー

ルの印象の通りだった。ミドリと美恵子はエレファントカシマシに魅せられ

ていたが、中村一義、くるり、フジファブリック、電気グルーヴな

ど、聴いているアーティストがすべて一致していた。また、写真家の佐内さ

んの撮る写真も好きな所までが同じだった。

そこまで趣味が同じなんてことがあるのだろうか、美恵子は自分とおなじ魂

を、ミドリに感じた。

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美恵子も一人暮らしだったのと同様、ミドリも一人暮らしをしていた。ミドリは東北出身

で、東京で一人暮らしをしながら、歌手を目指していた。そこで出会った歌

の先生を好きになった。しかし、先生は同じボーカルスクールの別の生徒と

付き合いはじめた。その頃からミドリは体調を悪くし、鬱になった。ミドリ

は何かのおりに、美恵子にこう言った。「美恵子さんはわたしと違って働い

たことがあるから、私とは違うんだよ。私は、一度も働いたことがない

の。」と。しかし、ミドリにはどうとも言えない魅力があった。ミステリア

スで、どこか気高く、そして憂いを内包していた。美容院のモデルのアルバ

イトをしていたりしたミドリ。美恵子は、ミドリに憧れを抱いていた。同じ

アーティストが好きで、どんなにそのアーティストが素晴らしいか、語りつ

くせない思いをメールにのせて、毎日のように「文通」をしていることが、

美恵子にとっては、仕事以外の本当の自分の時間だった。信頼というのもあ

るが、この世界にめったにいない同志を見つけたようなかんじだった。

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あるとき、勇気をだして、「親友」というより、「心友」だと思う。とミド

リに言ってみたことがあった。すると、ミドリも、美恵子さんのことを心友

だと思っていた。と言った。世間話のような、くだらないことをつべこべ

と、お膳立てて言わなくても、直に本質の話ができるひとだった。いわば、

おなじ魂をもっている、まるで双子のような存在だった。そんな稀有な存在

を見つけられて距離こそ大阪と東京で離れていたが、かえってその距離が心

の距離を強い結びつきにしていた。

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美恵子はときどき、ミドリと電話で直に

話したくなる。一人暮らしの自分の部屋から電話をすることもあったり、ベ

ランダでタバコを吸いながら話したこともあるし、道をあるきながら、公園

のベンチに座って、コインランドリーの待ち時間には、彼女に電話した。一

度、電話したときに、彼女が別人のようになっていたことがあった。うわず

った高い声で、早口でまくしたてるように話した。用事の帰りに、歩いてい

てしんどくなったから、姉が迎えにきてくれて、そのまま入院することにな

ったの。「え?入院?」美恵子は心配になって驚きながらも、動揺を悟られ

ないように、平静を装って彼女と話を合わせた。

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翌年の秋、

フリークアフェアのイベントがクラブQUEであった時、美恵子は今すぐに

でも東京に行きたくなった。中村一義や、くるり、小沢健二の曲などが

演奏されるという。ドキドキ高鳴る思いを持ちながらミドリに電話した。ミ

ドリは「うん、一緒に行こう。美恵子さんにまた会えるの、嬉しいし。」と

いった。亀有にある、

ミドリの家に泊まってもいいかな?と言いたかったが、それが失礼

な気がして、美恵子は、ホテルを予約した。ミドリの住まいはきっと、セン

スのいい一般受けするようなおしゃれなマンションではなく、物がたくさん

あるけれど、一つ一つ原色で、こだわりと思い入れのあるもので埋め尽くさ

れているアパートなのだろうと思った。アジアンテイストの土産物や、

模様が複雑なタペストリーや、布やラグ、ローソファが置いてあって、きっ

と紫や赤い部屋なのだろうとミドリらしい家を自分勝手に想像した。


 
クラブQUEでは、DJが中村一義、くるりなど、好きなアーティストの曲を流

した。ロックミュージックで踊れるDJはほとんどいなかったし、ミドリと美

恵子がリスペクトしているの曲だけで構成された夜のイベントは格別だっ

た。。暗い店内で、ジントニックを飲んでミドリと一緒にいられる、

喧噪の中の空間は現実というよりも、夢のような空間だった。ミドリは壁に

ぴったりとくっついた横長のソファに座って、横にいる知らない女の人と話

をしていた。美恵子には、少し嫉妬の気持ちさえあった。


美恵子は少し離れた所で、ひとり煙草を吸って、DJの曲に合わせて踊った。


酔いつぶれるでもなく、二人はそのあと、カラオケ店に行っ

て、歌いに行くことになった。夜中にこんな風に心友と二人で下北沢をそぞ

ろ歩くことが、あまりにも貴重に思えた。自分の魂をわかった人の前で、エ

レカシの歌を歌う時、どの曲にしてもいいし、どの曲でも陳腐な感じがし

た。しかし、その中からミドリは二、三曲を選んで歌った。ミドリの声はハ

スキーで、少し音が外れていたのが意外だった。

あまり多く歌わないようだったので、時間のある限り、美恵子が歌える曲を

気を使って入力していった。

歌っている途中でなぜか

涙がでてくる。自分のことをきちんと分かっている他人がすぐそこにいてい

ること、曲の内容に感じ入ってしまったこと。二人で、中村一義の曲を自分

もいっしょに歌えることに。

すべてのこれまでの、孤独、悲しみ、淋しさが歌にのっかって、

かき消されていくような、そのうえで、浄化されて、真っ白になってい

く。

もちろん、美恵子に、ミドリの全てがわかっているわけではない。色々

な言えないこと、おくってきた人生のこと、教師の娘としての苦悩、プレッ

シャー、上京する時の心の揺れ。。それらの、その人の全てを聞き出すわけ

にはいかない。


でも、美恵子は思うのだった。ミドリ、もう一度会いたいんだ。あなたと。

そう、あの時、美恵子はミドリにメールをし過ぎてしまった。あとのメール

に、

「ごめんなさい。でも、あの時はしんどくて、返信できなかったの。」と書

かれていた。今の美恵子になら、経験したからこそ、わかる鬱病という病気

のつらさも、その時の美恵子にはわからなかった。

その頃から、少しずつ距離が離れていったのかもしれない。

その後、美恵子には恋人ができて、結婚することになった。

ミドリはそのことを「いいなあ。」と言っていた

が、本当は少し寂しかったに違いないのだ。ミドリがどこかで、元気で生き

ていること、それだけを願いながら、美恵子は貴重な心友に、もう会えな

いことを後悔するのだった。私が近づきすぎなければよかったのに、依存し

過ぎていたのだと気づいた。一人暮らしの美恵子にとってミドリは心友だっ

た。ミドリにとってもそれは同じだっただろう。しかし、磁石のS極とS

極、N極とN極のように、あまりに同質というものは、近づきすぎると

離れてしまうものなのかもしれない。

いや、それとも違う。

一緒にいると、同じ方向に堕ちて行ってしまいがちだ。永遠の迷路に迷いが

ちだ。ネガティブがネガティブを呼び、

足の引っ張り合いになる。

いや、それもあったろう。しかし、違う。

彼女の貴いプライドは、美恵子とは一線が引かれていた。美恵子を引っ張る

つもりは彼女にはない。

しかし、その深い心が、辛い経験が、

美恵子の同情心を強く引いてしまいがちだった。何とか、失恋の傷を癒して

元気になってほしいと思っても、彼のことがどうしても、忘れられないでい

た。

傷ついた鬱の渦の中にとどまろうとしたミドリ。

アーティストの音楽を通して心は通っても、人の生き方の内側を変容するこ

となどできるわけではないのだ。

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住所もメールアドレスもあったはずなのに、

ふわっと手放して音信不通になってしまった。


 
しかし、東京駅で見送って手をふってくれた、最後の昼間、

帰りのバスの中から見た時の、その眼の奥底はガラス玉

のようにうつろだったことが本当に忘れられないのだ。

彼女の心の中の穴は、どうやっても埋められないことを悟って、美恵子は寂

しかった。彼女はまた鬱の渦に抗う生活を一人でしていくだろうことを、

考えると自分も悲しかった。

 今も、彼女が忘れられない、唯一の心友だと感じている。

この世で会うことがもし叶わないのなら、

東京駅の前でふたりで撮った、たった一枚の写真を宝物のように大切に、美

恵子は天国にもっていって、そこで彼女を探すつもりなのだ。
 


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