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8月24日、この場を借りて


仕事で帰りが遅くなり、飲み屋街を行き来する人たちに紛れて帰った。いつもより、人の笑い声が耳に入ってきた。


身内で不幸があった。正直なところ実感はあまりなく、いつもより気持ちの振れ幅も小さい。薄情なんじゃないだろうか、自分でも不安になる。それでも動揺した気持ちもあるのだろう、失敗して足の指をカミソリで切ってしまった。傷は小さいのに結構血が出た。

入院中に一度だけお見舞いに行った。わたしのことは忘れてしまったのかもしれない。ベッドに横になる姿を、まっすぐ見ることができなかった。何とも言えない複雑な感情が湧いて、涙が出そうになるのを必死にこらえた。


死について考え始めたのはいつからだろう。色々な考えを持った人がいるので、全員に理解してもらえるとは思っていないけれど、わたしは生きることに前向きになれない。この先自分の気持ちがどう変化していくかは分からないけれど。

「なぜ生きなきゃいけないんだろう」

考えても考えても分からなくて、周りの人に聞いても「考えすぎだよ、前向きに考えようよ」「人は皆生かされているんだよ」「皆しんどいと思いながらそれでも生きているよ」、どんな返事も心に入ってこなくて虚しくなった。きっと色々なものが絡まって、こういうわたしの思考がつくられたのだろう。死にたいと思うのは自分勝手な考えだと言われたことがある。周りの人の気持ちを分かっていないと。「生きる」って何なのだろう。なぜ生きているのだろう。生きるために、生活をするために仕事をしてお金を稼ぐ、食べる、眠る。わたしの中の答えは今も見つからない。だから考える。どんなに考えすぎだと言われても。

死に向かう人を目の前にして、今何を考えているのだろうと思った。どんなに認知する力が弱くなっても、布団の上で何かを感じ思いを巡らせている。たぶん、きっと。

死んだら何にもなくなるのだろうか。骨と灰になって、小さな壺に入る。いつかわたしも同じ姿になる。思い出は残るだろう、それでも薄れていく記憶もあるだろう。もうこの世で会うことはできないけれど、どこかでまた会えることを願って。この場を借りて、ありがとう。一緒に農作業をして、一緒にお茶を飲んで、一緒に食卓を囲んだことがあなたとの思い出です。

最後までお読みいただき、ありがとうございます! 泣いたり笑ったりしながらゆっくりと進んでいたら、またどこかで会えるかも...。そのときを楽しみにしています。