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家族だから、他人だから。


仕事で関わらせていただいている方で、同じことを何度も聞いてくる人がいる。2,3回同じことを繰り返し質問し、少し経った後にまた同じことを聞いてくる。

わたしはその人と会話する時に、強い口調にならないよう気を付けて会話するようにしている。実際に話していてイライラすることはないし、この人はこれが気になるんだなと感じながらすこし余裕をもって話ができる。でもこれは、きっと相手が他人だから。

わたしの母にも似たようなところがある。気になることがあると、気が済むまで何回も聞いてくる。電話でも同じ調子で、出なければ着信履歴が何件も残る。「電話に出ない時は、急用でなければメールを送ってね」と伝えても、同じことを繰り返す。どんなに口調に気を付けて話そうとしても、母に対してはイライラを我慢できなくなることがある。優しくしたいのに、優しくなれない。強い口調になってしまうことがある。これはきっと、相手が自分の家族だから。


家族だから、他人には求めないことを求めてしまう。他人には、他人だから求めてしまうものがある。家族だから、本音が言えない。他人だから、家族には言えない本音が言える。

家族だからできてしまった深い溝は、案外他人が救ってくれる。“家族”からちょっと離れて、他人を通して自分の家族を見る。今までより、家族を客観的に見られる。父も母も親である前に一人の人間だったという、今まで見えなかったけど当たり前のことが見えてくる。

家族の問題は、家族だけで解決しようとしなくていい。家族の問題だからこそ、他人の力を借りる必要がある。家族の課題を解決するためというよりも、家族と一緒にいる時間に自分のピンと張った糸を、緩めるために。それが、家族に対しての優しさに繫がる。

問題を解決する力も大事だけれど、必要な時に他人に助けを求められる力はもっと大切。これは家族ではなく他人から教えてもらったことだ。家族だけで抱えている問題を他人と一緒に考える。

家の中以外の空気も吸ってみる。それで気持ちが楽になったら、家族にもすこし、やさしくなれると思うから。

最後までお読みいただき、ありがとうございます! 泣いたり笑ったりしながらゆっくりと進んでいたら、またどこかで会えるかも...。そのときを楽しみにしています。