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「今」にもどるために。

わたしたちは、「今」を生きている。

でも、四六時中「今」を意識して生活しているかというと、そうではない。「今」を生きながら未来のことを考え、過去を振り返りながらそれを「今」に繋げる。過去と未来と現在を、行ったり来たりしながら「今」を生きている。

「今」と強調しているのは、それがわたしたちの生活の軸になっていることを、わたし自身も意識したいから。

未来を考えることも、過去を振り返ることも、大切なことだ。未来を考えるから、前に進むことがわくわくする。過去を振り返るから、それが「今」を生きるための原動力になる。


ここ数日、わたしは自分の「今」を見失っていた。軸が過去の方向に傾いたまま過ごしていたので、今がすごく曖昧でぼやっとしていた。これを書いている今も、まだ「今」には戻りきれていない。これを書くのは、わたしが「今」に戻るためでもある。

過去は消せないし戻れない。つらい過去ももちろん消し去ることができない。けれど、無かったことにはされがちだ。本人は覚えていても、周りはけっこうすぐに忘れる。いじめの、された人はずっと覚えているけれどした人はまるで無かったかのように忘れてしまうのと同じで。過去と比べて、「今」はあの時とは違うでしょと簡単に無かったことにできる。

でも、過去と「今」を比較対象にすることに疑問に思うことがある。過去と「今」は繫がっている。その過去があるから、「今」の自分がある。過去を無かったことにしたら、「今」の自分はいないのだ。
だからといってずっと過去のことを考えて生活するのは、「今」の自分がつらくなる。もうつらい思いは過去にしたのだから、「今」も同じつらい思いをしなくてもいい。そこまで抱えなくていい。

「今」の自分を形成した、自分の過去も大切にしたい。それがつらい過去であったとしても、無かったことにしないで「今」を生きていくことはできないだろうか。これは、過去を引きずるのとは違うと思う。過去があっての「今」を生きるのと、過去と混同している「今」を生きるのとでは似ているようで違うから。


わたしたちは「今」を生きている。
その「今」は、過去によって支えられている。そして未来のわたしたちが新たなつらさにぶつかった時も、後ろでこっそり支えてくれる。

最後までお読みいただき、ありがとうございます! 泣いたり笑ったりしながらゆっくりと進んでいたら、またどこかで会えるかも...。そのときを楽しみにしています。