"アートシンキング"と脳内言語

脳内言語とは、思考する際、脳内で使用する言語である。口に出す言語とは、別物である。
どういうことかというと、
 ・文字
 ・数字
 ・静止画
 ・動画
など、思考を進める上で使うプロセスが人によって違う。

近年、UXへの関心の高まりから、コンサルティングファームによるデザイン会社の買収やクリエイティブ業界出身の人材の雇用が進むが、中のコミュニケーションがうまく行かないことがある。これはなぜか・・・?その理由が脳内言語だ。これは私の造語なのだが、言葉にされる前の脳内言語は視覚化できず、一人一人異なる為、ミスコミュニケーションが発生することがある。

島国日本で日本語を使用する人種は、ほぼ日本人だ。音声として、文字としては同じ言葉を話している。だから、一見合意が取れているように錯覚をする。しかし、言葉は使う人によりコンテクストが微妙に異なる。これを意識しないと、会話はズレる一方である。英語の場合は、明瞭な表現をする特性を持つ言語である上に、多様なバックグラウンドをもつ人々が使用する為にコンテキストの確認は意識して行われる。


例えば、目の前にりんごがあったとする。ここでの登場人物は、白雪姫とキティちゃんという夢のコラボレーションの中で、2人が会話の中で「りんご」という単語を使用したとする。
 白雪姫     「りんごがさ・・・」
 キティちゃん  「りんごは・・・・」
音上は、違和感ない。同じ、りんごという音声を発している。

ここで、立体感(言葉のコンテキスト)と多角性(多様性)を意識して、絵を用いて表現をして見てもらおう。さて、2人からはどんな「りんご」が出てくるだろうか・・・?

白雪姫

キティちゃん

こんな感じで、言語以外の方法でコミュニケーションをとると、2人のコンテキストの差がはっきりとわかる。ここで重要なことは、
 ・どちらか一方のりんごの姿だけが正解なのではない
 ・両方のりんごの姿が正解
 ・双方りんごの正解は一緒に作っていく
ということだ。
アートシンキング的コミュニケーションでこの後2人がやることは、りんごの正解を一緒に作っていくプロセスだ。白雪姫の毒りんごとキティちゃんの可愛らしいりんご、この二つをミックスさせた時にはどのようなりんごが出てくるのだろうか。


言葉というものは、理解の余白がありそうでない。一方。アートの解釈には正解がなく、生み出す方には表現の余白が、受け取る方には理解の余白がもたらされ、納得感のある合意形成がしやすい。上の例は、アートシンキングのエッセンスがたっぷりと詰まっている。対話して価値観をシェアしあい、その上で2人の中での正解を作り、新しい定義を作るーそして文化が作られていく。これがアートシンキングだ。

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