"アートシンキング"で見えるモノ

アートシンキングで身につくチカラで紹介したように、
アートシンキングを通じて、立体的かつ多角的に世界を理解できるようになる。
この二つのチカラが身につくことにより、どんなモノが見えるか。
➖それは、"自分だけの定義"である。

私たちは生きる中で、ある程度、ルールや常識というものを持っていて
そのおかげで、スムーズに日常生活を送ることができる。
しかし、スムーズに思考を進めているようで、実は思考停止しているシーンも多いはずだ。

資本主義の仕組みの中では、工夫して、効率化させることが大切となる。
この工夫とは、これまでの経験で培われたベストプラクティスをフレームワーク化したものであり、ルールである。
誰でも同じように、効率良く、生産活動ができるようにしているのだ。
そして、試行錯誤する時間をカットできることで、多くの物事は回っている。
これは、人々の日々の営みという単位から、企業活動に至るまで、多くの場所で見受けられる。

例えば、東京の独身OLの一日で考えてみよう。

朝は、スマホでセットしたアラームが起こしてくれる。
通勤時、ホームに電車が到着した際は、音楽がなり、駅員さんのアナウンスが入り、ドアが開く際にはピコンピコンという音が、閉まる際には、出発のベルの音がなる。
横断歩道の信号が青に変わった際も、同様に音楽がなる。
会社に入る際は、入館カードをかざし、いつも通りの業務をこなす。
ランチは、社食かすぐ近くのすぐに入れる店で、いただくだろう。
ランチが終われば、また日々の業務をこなす・・・と続いていく。


つまり、言いたいことは、前提条件がほぼ変化しない現代の世界の中では、人々は思考停止に陥りがちだ。
アラームセットした時間にスマホが爆発することはないし
電車が30分以上遅れることも滅多にない。
横断歩道が、白い部分だけ突然隆起する、というゲームみたいなことも起こらなければ、かざした入館カードがマジックのように、突然消えることもない。

先人たちが、ちょっとづつ作って残していってくれたルールに乗っかることで、色々なことを当たり前のものだと思い、改めて前提まで考えてみる機会はなかなかない。
しかし、そこで、「そもそも〜」とか、「もともと〜」とか
なんでなんだろう?という”WHY”の姿勢で取り組むことが求められる。
アートの世界では、定義も、前提条件も、正解もない。
正解がないことこそ、正解である。

そんな中で、前提条件を改めて見直し、自分だけの定義が構築されることで
新たな可能性に気づくはずだ。
だからこそ、イノベーションは、デザインシンキングではなく、アートシンキングで進めるべきである。
また、そうした中で、物事と主体的に向き合うことができるようになるのではないだろうか。


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