"アートシンキング"を別の言葉に言い換えると?

「アートシンキング、これって別の言葉で表現するとしたら、何ですか?」という会話があった。
私の答えは、"対話"だ。
何故なら、アートも対話も、
 ・正解がない、がルール
 ・前提条件を探していくプロセス
である。
ひょっとしたら、それは哲学的プロセスとも言い換えられるかもしれない。

そして、このプロセスの解像度をもっと上げていくと、自己対話他者対話を繰り返して、思考の拡散・収束運動が繰り返されている。
今日のnoteは、少しマニアックな内容かもしれない。
デザインシンキングを通ってきたベテランの方々を中心に読んでいただき、一緒に対話できると個人的には嬉しい内容担っている。

下の図は、横が時間軸で、縦軸が爆発具合を表現したものだ。
時間の経過とともに、まとまったり、爆発したりしながら、最終的に収束していく。
そのイメージをグラフにしたものである。

これは2つのパターンに別れる。
 ①収束自己対話×拡散他者対話
 ②拡散自己対話×収束他者対話
である。


①収束自己対話×拡散他者対話


これは、自己対話の中でなんらかの仮説設定をし、その仮説検証として他者との対話の場を設ける場合である。
例えば、「私には物欲がない」という仮説が自己対話の中で浮かんできたとする。これを他者対話を通じて、仮説検証する。すると、仮説検証が進む中で、一歩深い真実が出てくる。それが、「私は物欲がないフリをしている」というものだったとしよう。その場合、新しい仮説に置き換わるため、対話は再度拡散を始める。

②拡散自己対話×収束他者対話


この場合は、自己対話の中での棚卸しから始める。つまり、頭の中をひっくり返して、とっ散らかす。こうして拡散したものを、他者対話の中で、アウトプットしながら整理していく。これは結構、多くの人が経験している対話形式である。
「話しているうちに、なんだか整理されてスッキリした」
こんな経験が、これに該当する。

①と②の共通点を最後に確認したい。
それは、拡散はインプットであり、収束はアウトプットになる。
拡散するものが多ければ多いほど、濃密な要素に収束していく。
拡散度合いを広げていくためには、自身のオリジン(原体験)を自分の親の代に引き上げて理解していく必要がある。

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