言葉遣いについて

方言と女言葉

幼い頃から地方住みだったので、周りはだいたい方言寄りの言葉遣いをしていた。だからテレビとか本で登場人物が「~だよ」と標準語を喋っていることに、更に女性が「~なのよ」「~だわ」なんて言葉遣いをしていることに違和感を覚えていた。この女言葉に関しては後に「小説などの文章、特に翻訳ものだと、ニュアンスを伝えるために女言葉にせざるを得ない」みたいな話を読んで納得した。まあさすがに男勝りなはずの女キャラまで女言葉だと違和感あるけど。

敬語キャラになりたかった

私は小学校低学年頃に場面緘黙の気があり、家で普通に方言を喋る自分と学校で無口キャラになっている自分にギャップを感じた結果なのか、授業の発表では喋り始めていたからそこからのスライドなのか、敬語こそが自分の言葉遣いだと思って一時期家では敬語を使っていた。そのうち敬語は変だと感じてやめて、代わりに自分用ノートや脳内で敬語キャラを続けることになった。

一人称と親の呼び方

小学校中学年頃、親に、自分のことを○○ちゃんと呼ぶのやめて「私」にしなさい、とかパパママをやめてお父さんお母さんにしなさいとか言われた際、恥ずかしくて出来なかったから未だに一人称も使ってないし親もろく呼べないような大人になってしまった…。いつも両親のことは呼ばずに文脈で向こうに判断してもらう…。別に厳しく言う親なのではなくて、「からかう」タイプだったので「人前ではお父さんお母さんと言えても、人のいるところで遠くから呼びながら駆け寄る場面ではどうするんかね?お父さーパパーって途中から変えるの?w」みたいな弄られ方をしたので余計駄目になった気がする…。

言葉遣いの統一

中学生くらいからは家や学校で「~だよ」になってきたような気がする。それは周りの環境の変化にもよっていたかもしれない。そして、普通に職場では同僚と仲良くなっても後輩に対しても敬語だったし、日常でも敬語だし別に異性と付き合っても敬語のままだったし……。

敬語の崩れ

……で、結婚した。私のパートナーはけっこう年上なため、結婚してからも敬語で話しても違和感なかった。しかし、その敬語が自然と崩れた時、私は「~なのよ」とか「~だわ」と言っている自分に気付いた。もちろん「~だよ」とも言うが。それで思ったのは女言葉って敬語が柔らかさを保ちながら崩れると自然発生することもあるんだなー、ということだった。

パートナーの言葉遣い

まず一人称が「自分」である。方言はたまにしか出なくて、「~だ」と芝居がかった断定口調で喋ることもある。私自身は一人称が私の異性が好きなのだが、この「自分」もパートナーらしくていいと思う。

たまに、パートナーの友人と三人で会うと、パートナーから「俺~だぞ」という言葉遣いが自然に出ていたりするので、そういう一面もいいと思う。

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