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「自分の人生の舵を切った日」パラリアを見学すると決め、行動するまでの経緯

今日はパラリアを実際に見学するまでを書きたいと思います。2019/3/21のブログの続き(下記の記事)になっているので見ていただけたら本回想記がより理解できると思います。

①パラリアに行きたいと言えない日々

私は高校が朝から晩まで授業があり、自分の勉強時間が取れず、授業にも私はついていけなくなっていました。私は自分を変えるには環境を変えるしかないと思いました。

だから私はパラリアに行きたいと思っていました。


しかし私は東北に住んでいたので経済的なこと等を考えてしまい、またそうなればもし行けることになったとして、高校はどうしたらいいのか。

そのようなことばかり考えていて行動に移せない日々が続きました。成績は変化せず、ずっと気持ちだけ「いつか見ていろ」と思っていました。


ある時「いつかっていつ?」「見返す日は来るの?」「なんで動かないのに何か変化が起きるの?」と考えるようになっていました。それから、自分の願望と親やほかの人に迷惑をかけたくないというジレンマに日々悩むようになっていました。

なので親に「何かあったの?」と聞かれても「大丈夫、何にもないよ。」と答えることしかできませんでした。


②パラリアに見学に行くと決めた

志望校を決定する目的の三者面談がありました。私はその時偏差値が低いながらも周りを見返したいと思っていたので、東北大学を目指したいと思っていました。しかしその三者面談で元担任にはっきりと「お前には無理だ。俺は応援できない。」と言われました。


その時私は「ここにいて、この人たちの言いなりになったまま過ごしたらきっと後悔する。パラリアにいって成功するか失敗するかはわからないけど、私が信頼できる人の下で私が後悔しないようにしたい。」とはっきりと思ったことを覚えています。


そのあと車の中で、母に自分の思っていることを全て話し、交渉の結果パラリアに見学に行くことになりました。

そしてパラリアの公式ラインから震える手で見学のアポを取りました。


③1年5ヵ月20日ぶりのパラリア

パラリアに見学する日、私は初めてパラリアに来た日から約1年半ぶりに行くんだと考えながらパラリアに向かいました。パラリアに着くと浅見さんが居て他に二人の塾生S君とTさんが居ました(この二人のことは後日書きます)。

まず浅見さんと面談があり、初めに志望大学を聞かれました。私は元担任・クラスメイトを見かえしたいという想いがありました。それに加えて浅見さんが浪人して東京工業大学に受かったという経験がありました。そして浅見さんへの憧れがありました。なので私は元担任に東北大学を無理と言われたのにも関わらずこう言いました。


「志望大学は東京工業大学です。」



最後に

今回はパラリアに見学に行くまでを書きました。明日はパラリアを見学して感じたこと、志望校を言ってからの浅見さんの反応、二人の塾生の印象について書きたいと思います。ここまで読んで頂きありがとうございました。

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