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[生徒更新]一番大切なことを見失っていないのか~数学の記述から~

今回の内容は2019/8/18の振り返りになっています。何故振り返りをするのか等は過去のブログ(下記記事)に書いてありますので、そちらを参照していただけると幸いです。

下記記事は昨日の記事になります。

一日の振り返り

私は毎日数学の初見問題を解き、自分の自己採点をした後に講師の人に見てもらっています。今日もいつもと同じようにやりましたが、ふとこんなことを思いました。

自分で自己採点するときに気付いて直す日本語や答えの書き方等はケアレスミスすることと何ら変わりがないのではないかと。

つまり、ケアレスミスとは分かっていたはずの問題であるのに計算ミスなどをしてしまうミスの事ならば、日本語等も自分で直せるのなら[本来は自分で気づくことが出来るミス]であるから、それもケアレスミスといえるのではないかと考えました。

私は記述で満点の解答、ケアレスミスが無い解答を目指して毎日問題を解いています。そのために一度下書きをしてから清書というように手順を踏んでいるのにも関わらず、後から自分で赤で箇所があるというこの[完璧な解答にする為にしている行為の後に、自分で丸付けするときに赤が入るという矛盾]がおかしいと思いました。

では、どうして見直しと清書があるのに自分で間違えを発見できてしまう解答に成ってしまっているのかを考えると、二つ理由があると思いました。


1つ目は一番大切なのは何なのかがおかしいことです

一番解答を書くのに大切なことは答えがあっているということ。その次に条件、問題の展開に矛盾点、不足点が無いこと。次に日本語の接続詞、助詞の使い方が合っているのかの確認。最後に採点者の見やすい解答に成っているのかの確認と考えています。

しかし、私がやっている手順はまず解き切るということ。次に条件の確認。そして日本語、採点者の見やすさを考え、最後に計算ミスなどが無いかの確認と一番大切な[解答が当たる]という思考が一番最後になっていることが問題であると思いました。

では、なぜそのようになってしまうのかを考えたところ、[まずは書いてしまおう]という意識が強すぎると思いました。私は書いた後ミスをすれば後から直せばよいと今まで思ってきたので制限時間を設けた時に下書きなどをしてからミスを直そうと思っても[後から直す時間が無くなりケアレスミスをしてしまう]と感じました。


2つ目は清書の時に何となくで書いているのではないかということです

一回解ききって再度同じことを書くとき、自分のおかしいと思ったところがあったら直す余力はあるはずだし、それを清書しながら気づくこともできると考えています。しかし、それに気づけていないということは、清書の時に何も考えていない・手が動いているだけで意味のない作業に成っているのではないかと考えました。


以上から明日の初見演習時、考える順序をまずは見直しすることを意識し、清書をする前に下書きの段階で日本語以外の直すべき注意点を書いてしまって清書の時は日本語にのみ注意しようと思いました。

ここまで読んで頂きありがとうございました。また明日も読んで頂ければ幸いです。

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