僕は講師として「隙のある」人間であり続けたい【part 3】
先日の記事の続きです。前回の内容のまとめとしては、
僕が隙のある人間であり続けたいと思う理由は2つで、
①生徒が、自分の主張に不安だったとしても、思い切って言えるようにするため
②僕自身が生徒から学ぶ姿勢を失わないようにするため
この2つの詳細を記載しました。
詳しい内容はこちらをご覧ください
今回は、「隙がある」ことの定義について書いて、このテーマを締めくくろうと思います。
結論からお伝えしますと、隙がある人とは「自分をオトすことのできる人」だと思っています。
僕がそう思えたのは、島田紳助さんの司会でのトークでそれを想起したからです。
いわゆる、トークの「オチ」
真面目なことを言って、最後に笑いでオトす
この「オチ」の構造を考えました。
司会として、まともなことだけ言ってしまうと、その空間で立場が上に立ってしまう。だからこそ、最後に笑いを誘ったり冗談めかしてボケることで自分を下げて、その空間での立場を元の位置に戻す作用を働かせているのかと考えました。
皆さんも、講演でスゴい話やステキな話を聞いた後は、「自分とは違うな。。」と思いませんでしたか?
ですが、時々自分を卑下したり笑いを誘うような話を入れられると、その人への心理的ハードルが下がると言いますか、内容は同じはずなのに、自分たちと同じ位置にいるような感覚にならなかったでしょうか?
僕は紳助さんのトークにそれを感じました。
紳助さんのトークでの立場を元の位置に戻す行為
= ひな壇からツッコまれる、笑われる
この構造を講師に落とし込んでも同じだと思います。
例えば、昨日の生徒との会話をたどると、
生徒:「数学の問題集で微積に取り組んでるんですけど、解き続けてると後半の問題に進むにつれて、集中力低下して計算ミスしたり方針が出なかったりするんですよ…」
僕:「ふむふむ…そしたら、逆順で進めてみたら?」
生徒:「あ、確かに」
僕:「問題もページの後半につれて難しくなるし、その問題集の現状の使う目的が問題理解・解答方針のストックだと思うから、それもアリじゃないか?」
生徒:「おーーそうします!」
僕:「マジかーいま考え付いたわー、俺も浪人の時そうしていればもっと効率上がってたわ。。」
生徒「笑」
多分、生徒は「やってなかったのかい。」と思ってたかもしれませんが、生徒の課題解決には一役買ったのかなと思います。
この場面は僕の一方的な答えで終わってしまいましたが、この時も、最後にオチの機能が働いて、次回も質問に来やすい空気感は作れたと思います。
(生徒に考えさせる時間がなかった点は反省です。。)
話を最初の結論に戻すと、「隙のある人=自分をオトすことのできる人」と言う見解でした。
僕はこのスタンスに抵抗感が少ないですし、それが自分の性分だと思っていますが、おそらく苦手な人もいるでしょう。
僕は生徒と立場を同じくするタイミングがあることが信頼関係につながると思いますが、僕とは違う方法で信頼関係を築いている人がいると思うし、そもそも信頼関係はナメられることになりかねないから必要ないと考える人がいるかもしれません。相対する相手の年齢にもよると思います。
そこに関しては、生徒も自分を取り巻く環境も様々なのだから、理想の先生像を1つに固定する必要はない気がするんですよね。
だから、僕のスタンスに合わない生徒は確実にいます。
ですが私塾であれば、合う生徒は馴染んで、合わない生徒は離れて、自分に合う講師を選ぶと思います。
それでいいと思います。
個人的には、万人をカバーしようなんて思ってません。
自分がサポートできる範囲で手厚くサポートできればそれでいい。もちろん、その範囲を少しでも広げられるようにキャパを広くできるように努めますが!
それでも僕の根底のスタンスは大きく変わらないと思います。
繰り返しになりますが、
僕は講師として、
「隙のある」人間であり続けたい
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