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餅は餅屋。自分ができることをすればいい。73歳になってもパラリアで働く伊藤秀生さん

年齢を重ねてから働いている人を今まであまり見たことがない。
それに、僕の中の年配の方のイメージは家でゆっくりテレビを見ていたり、孫と遊んでいる、という感じだ。
しかし、ここパラリアで働いている73歳の伊藤秀生さんはずいぶん違う。
このインタビューを通して僕の「年配の人」という固定観念が取り払われた。

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ーー伊藤さんはパラリアで働く前は何をしていたのですか?

伊藤:秋葉原でビルを一棟借りて事業をやったり、三宅島で民宿をやったりしましたが、一番最初にやったのは家業である八百屋です。

ーー家業を継いだということですか?

伊藤:はい。私が大学卒業にときに継ぐかどうか迷ったのですが、当時の年商が約1億だったので、誰かが継がないといけないと思い私が継ぎました。そこからだんだんとスーパーマーケットができ始めて売り上げが落ちてきたので、家業とは別にスーパーマーケットの1箇所をかりて八百屋をやりました。

それは友人と一緒にやっていて「売り上げが10億を超えることを目標にしよう」といっていて10年くらいで10億を超えて、家業の八百屋もあったので、そこで手を引きました。


ーーそこからどうやってパラリアの仕事に就くようになったのですか?

伊藤:その後もいろいろな仕事をやっていたのですが、バブルがはじけた時に役員をやっていた会社の資産がなくなったのでそこで商売からは手を引いて、当時春日部で塾をやっていた田中先生(現東大前校講師)と一緒に塾をやろうと話していました。

そして当時、塾をやっていた人の紹介で浅見さんと知り合って、田中先生と考えていることが似ていたので浅見さんも一緒にやろうということでこのパラリアを立ち上げました。

ーー今のパラリアについてはどう思っていますか?

伊藤:自分が想像していた塾とは少し違いますが、田中先生は実績があるし、浅見さんの考えを聞いたらしっかりしているので生徒関連のことは任せています。餅は餅屋という諺があるように私は私ができることをやって、生徒や教育のことを考えている浅見さんや田中先生にはそちらに専念していただけたらと思っています。

生徒をたくさん呼んでお金を貰って、給料をたくさん出すというのがひとつの事業としてのあるべき姿であると思いますが、教育の事業は儲からないことがわかっているので、そこは仕方ないと諦めています。パラリアでは若い人が多いのでその人たちが生きていくのに困らない程度に稼げていれば良いと思っています。

それと春日部校と東大前校の雰囲気や学習システムが違うから、そこの調整をやるのが少し大変です(笑)。春日部校は春日部校でいいところがあるし、東大前校は東大前校でいいところがあるので「どちらが良くてどちらが悪い」というのは言い難いです。

今はそれなりに生徒が集まってきているので、世間からは少しだけど認めてもらっていると思っています。もちろん運営面で進歩しないといけないところはありますが、今の形で大体は良いと思っています。

それに授業型ではなく自習型の塾でもっと多くの人から高い評価を得られたら面白いのではないかと思っています。

ーー最終的にパラリアをどのようにしたいですか?

伊藤:パラリアを立ち上げた当初は各都道府県の県庁所在地には出したいと言っていたので、それを望む人がいれば出したいと思いますし、起業人として興した以上はそのようなことをしていきたいです。そこまではいかなくても日本の中心都市にはパラリアを出したいと思っています。また「パラリア」と聞くとそこそこ実力のある会社と認められるような会社にしていきたいです。

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僕のこれまでの年配の人のイメージは「自分の経験が全て正しいと思っていてそれ以外のことをいう人に怒る」というイメージだったのですが、ここまで柔軟に対応している年配の方は見たことがありませんでした。

きっとそれは伊藤さんが他の人と比べてこれまでにたくさんの経験をしてきたからこそ生まれた考えだと思いました。
たくさん行動して、多くの経験を積むことの大切さが改めてわかったインタビューでした。

Text by 佐藤みちたけ

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