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難しいのは数式じゃない

「生き方」を求めて物理学?

哲学者・森岡正博はその著書「宗教なき時代を生きるために」(法蔵館、1996)で、
「自分が生きている意味、死んだらどこへ行くのかを考えるために物理学を専攻したが、納得するような答えは得られないような気がした」
と。

どういう答えなら彼が納得したのか知らないけどその問題、すなわち死んだらどこへ行くのか、という問題について物理学から当座の解は出ているのではないでしょうか。

それは、「なにもない」

あくまで正統の物理学的にはですが。

意識や心を発現せしむる脳内生化学反応がストップした段階で個は消滅する、というのが現代脳科学・自然科学の示すところ、ですよね。

私のPF理論では脳機能停止後の精神活動の持続可能性を唯物論的に論じてはいますが、これは現段階ではあくまで例外、一仮説。

で、本稿で注目したいのはそっちではなく、彼が「生きている意味とは何か」という問いへの答えを求めて物理学を専攻したという点。

いったいその問いを立てて物理学を志す人ってどのくらいいるのだろう?

科学は万能と多くの若い人が思っている、って本当?

私自身、死後存続の可能性をかけてPF理論の研究を開始した当初は、もし理論が完成したら結果として死生観や人生観なども変わるだろうなとは思いましたが、「生きている意味を見出すために」始めたわけではありません。

世の中には色んな人がいるもんですな。

で、森岡のこの逸話を受けて生物学者・池田清彦は「科学とオカルト」(PHP研究所、1999)で、「科学は万能であるというのは錯覚なのだけれど、若い時に、この錯覚にとりつかれてしまう人は少なくないようだ」と。

えぇぇっ!?「科学は万能」と思っている人そんなにいる?

科学の中に身を置いてきた自分にとって、この言明は新鮮でした。

だって実感ないもの、てかこれ本当?

自然科学はhow(どうやって○○は生じるか、△△はいかにあるのか)については答えられるがwhy(なぜ宇宙は存在するのか、人はなぜ生きるのか)には答えられない、とよく言います。

そしてhowに応えるにしても、これは池田もその著書で言明しているように、人類の能力の限界内で、の話。

この論を逆手に取った不可知論には気を付けなければならないけど。

自然観を深め、生きる意味考に挑む

池田曰く、自然の中に独立に存在するように見える同一性(クォークとか超ひもとか)というのは実は錯覚で、本当は同一性は人間と自然の関係の中にある。

けれども自然の中に存在する不変の実体と考えると目の前の現象をうまく説明できる。

また、くり返し起こる現象の中に法則性を見出しそれが不変で普遍と思うと、これまた現象をうまく説明できる、と。

そうなのかも知れませんね。

少なくともwhyに対する解を自然科学に求めるのは酷であり(考えるベースにはなり得る)、それは哲学の議題でしょう。

事実森岡も哲学に転向しています。

ただ私なぞは、物理学を通じてhowに対する答えを縷々準備した上で、whyに挑む意味はある、と思うのです。

これは「万能論」なんてもんじゃないでしょう。

と言うか、人類にはそれしかできないんじゃない?

例えば、とかく傲慢で自己中になりがちな人類の思考パターン。

宇宙の中での地球や人類という、唯一無二とは無縁のちっぽけな存在というリアル、広い宇宙には文明を持った宇宙人がいる可能性(だがそれが地球に到達している可能性はほぼない)というリアルに接することが、人類の一人としての自分の生き方に、謙虚に想いを馳せることを可能とする、と思うのです。

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