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『MIU404』に出会えたことが、きっと分岐点になる

「機捜っていいな。誰かが最悪の事態になる前に止められるんだろ。超いい仕事じゃん」

そう第1話で伊吹(綾野剛)は笑っていた。いつだって最悪の事態は、すぐそこにある。パチンコ玉がそこに落ちてしまう前に、人は何ができるのか。

『MIU404』(TBS系)は、最悪の事態の一歩手前で懸命にすくい上げようとする人々の戦いを描いたドラマだった。

「なんや人情話け」そう蔑んだ人の想いに、久住は足元をすくわれた


これまで『MIU404』は、人は簡単に道を踏み外すということを一貫して描いてきた。加々見(松下洸平)も青池(美村里江)も成川(鈴鹿央士)も水森(渡辺大知)も、そしてガマさん(小日向文世)も、みんな生まれついての極悪人ではなかった。ごく普通に生きてきた。ささやかな日常を必死に守ってきた。それでも、何かのスイッチで進む道を間違える。法を破り、罪を犯してしまう。

2019年10月16日 0:00。あの閉ざされたときの中で、志摩(星野源)が命を落とし、伊吹は久住(菅田将暉)を撃った。

「どうしても許されへんかったらどうするん? 殺すしかないんとちゃうんか?」

そう囁く久住の言葉通りの結末となってしまった。泣きじゃくる加々見に「相手がどんなにクズでも、どんなにムカついても殺した方が負けだ」と諭した伊吹が、連行されるガマさんに「何があっても、あなたは人を殺しちゃいけなかった」と伝えた志摩が、自分たちの憎しみに負けた。最悪の事態に堕ちてしまった。

でもそれは、2019年10月16日 0:00という、1秒も時を刻むことのない時間軸の話。この国で華やかな開会式が開かれていた幻の2020年7月24日と同じ、あったかもしれない別の未来だ。だけど、私たちは未知のウイルスというスイッチのためにその未来に進むことはなかった。

メフィストフェレスは、ファウストの望みを叶える代わりに、その魂をもらい受けたという。あの幻覚は、メフィストフェレスが見せた誘惑だろうか。人生には、いろんなスイッチがひそんでいる。伊吹と志摩の人生にも、道を踏み外すスイッチはいくらでもあるのだ。

でも、ふたりはそちらの道に進まなかった。きっかけは、九重(岡田健史)からスマホに送られてきたメッセージ。2019年10月15日15:05。クルーザーの船内に閉じ込められた伊吹と志摩は、陣馬(橋本じゅん)の意識が戻ったことを知らせる九重からのメッセージの連投で目を覚ました。あのとき、あの瞬間、もし九重からのメッセージが来なければ、ふたりは目を覚まさなかったかもしれない。最悪の事態に引きずりこまれていたかもしれない。

そして、陣馬が目を覚ましたのは、九重の懸命な想いが届いたからかもしれないし、もっと言えば、陣馬がこれまでの機捜人生の中で出会ったたくさんの仲間たちから届いた回復祈願のうどんのおかげかもしれない。たくさんの刑事たちが、陣馬が目を覚ますことを祈った。その祈りが、ひとつ、ひとつと積み上げられて、あのとき、台の上から落ちた。まるでピタゴラ装置のように。奇跡とは、そんなふうにして起きるのだろう。

久住のような、素性もわからない、足取りもつかめない、ルールの枠外にいる見えない敵にどう立ち向かえばいいのか。絶望から這い上がる起死回生の逆転劇をつくったのは、見えない絆だった。最悪の事態を回避する切り札は、人の想い。久住は「なんや人情話け」と笑うかもしれないけれど、そんな人情話に久住は足元をすくわれたのだ。

伊吹と志摩は、強くて清くて正しい警察官であり続けることを選んだ


「どうしても許されへんかったらどうするん? 殺すしかないんとちゃうんか?」

そんな久住の問いに、伊吹と志摩が出した答えは、生きることだった。「こんな世界にしたお前を、俺は一生許さない」とした上で、「許さないなから殺してやんねえ」と伊吹は言い、「生きて、俺たちとここで苦しめ」と志摩は傷口におしぼりを当てた。「死にたいやつだった」志摩だからこそ意味のある台詞だったし、今もなおガマさんに面会すらしてもらえない伊吹だからこその結論だろう。

ふたりは強くて清くて正しい警察官であり続けた。「刑事だった自分を捨てても俺は許さない」という呪詛に苦しみ、法を守る無力さに打ちひしがれながらも、最後まできちんとルールにのっとった上で、久住に勝利した。

確かに本人が「俺は大したこと何にもしとらん」と言う通り、久住は直接誰かを傷つけたり自分で手をくだしたことはほとんどない。けれど、あの虚偽通報の嵐により、妊婦の搬送が遅れ、生まれるはずだった胎児が死亡した。

小さな悪意が、無責任に仕掛けた遊びが、めぐりめぐって誰かの命を奪う。その想像力を、人間は持たなければいけない。久住はきっと「神の采配やな。そいつは死ぬ運命やった。俺には関係あらへん」と言うかもしれないけど、それは詭弁だ。久住はいろんな人の人生を狂わせるスイッチとなった。その罰は、必ず自分に返ってくるし、ちゃんと罪は償わなければならない。これから長い時間をかけて。

久住の素性について明確に描かないというのは、『アンナチュラル』(TBS系、2018年)で「犯人の気持ちなんてわかりはしないし、あなたのことを理解する必要なんてない。不幸な生い立ちなんて興味はないし、動機だってどうだっていい」というミコト(石原さとみ)の台詞に通じる野木亜紀子の美学であり、同時に久住の「俺は、お前たちの物語にはならない」という台詞は、警告でもある。未知のものに対する恐怖心を、わかったようなレッテル貼りで緩和し、制御下に置こうとする世の中への。点と点を強引に結びつけてストーリーをつくり上げることは、決して理解にはつながらない。

途中参戦ながら神出鬼没の存在感で物語をかき回し、ジョーカーとしての役割を果たした菅田将暉の演技は、人々を魅了するカリスマ性すら備わっていた。特に、伊吹と志摩に逮捕されたときのあの瞳の汚れのなさは、いったいどうやったら表現できるんだろうと、菅田将暉という存在そのものに恐怖を抱くほど。「俺は、お前たちの物語にはならない」と両手で顔を覆う仕草も、拘置所で窓から注ぐ陽射しを見上げる目も、一挙手一投足が画になるのが菅田将暉のすごみ。ヒールながら惚れ惚れとするキャラクターをつくり上げた。

『MIU404』が教えてくれた、本質を見ることの大切さ


最終回で強く感じられたのが、警察組織の描き方だ。市民からは「権力の犬」となじられ、マスコミからも「税金の無駄遣い」と叩かれる。久住曰く「自分の身危険にさらして他人に構ってる」はずなのに報われない。でも、そんな警察が私たちの安全を守ってくれている。これは間違いのない事実だ。警察の正義と頼もしさを鮮やかに描いてくれたことに、エンターテインメントとしての爽快感があった。

また、このドラマでは桔梗(麻生久美子)を通じて男社会の歪さを描いてきたけれど、桔梗が隊長を退くとき、最初に拍手を送ってくれたのは、1機捜の副隊長・谷山(坂田聡)だった。一面だけを見て、「警察が」「男が」と断じるのではなく、そこで働いている人たちは千差万別であり、鼻持ちならない人もいれば良心的で良識的な人もいる。当たり前だけど、つい見落としがちなことを、ちゃんと示唆しているから、『MIU404』の描く価値観は信頼が置けるのだ。

そもそもネット上に広まったメロンパン号の汚名をそそいでくれたのもまた、これまで伊吹と志摩が出会ってきたたくさんの人たちだった。彼らが声をあげたのは、伊吹と志摩の人間性を知っているから。「警察」という大きな括りで決めつけるのではなく、そこにいる一人ひとりに目を向ける。あっという間に拡散されるフェイクニュースと構造は同じだ。ちゃんと本質を見る。その大切さをしみじみと学び直す作品でもあった。

そうやってこのドラマを観たことで行動が変わる人が増えて、少しずつ世の中そのものが良くなっていけばいい。性善説すぎるかもしれないけど、そう願っているし、そんなふうに世の中に何か影響を与えられることが、ドラマの意義だと僕は思っている。

「ドラマって面白いよね」そう夢中になれた3ヶ月


綾野剛、星野源、岡田健史、橋本じゅん、そして麻生久美子。4機捜を演じた5人は全員が魅力的で、特筆して誰かの名を挙げるのがはばかられるほど、それぞれに輝いていた。このドラマを観て、5人全員のことが大好きになった人はきっと多いだろう。

そして、最終回を終えてふっと思い出すのが、放送開始前に取材したときに、綾野剛が語っていた言葉だ。綾野は「このドラマを観て、役者になりたいと思ってくれる若い子を増やしたい」(※1)と意気込みを述べていた。きっとそれは叶ったんじゃないかな、と思う。綾野を見て、星野を見て、岡田や橋本や麻生、そして他の出演者や菅田を筆頭とした多彩なゲストを見て、役者ってこんなにカッコいいんだと憧れた若者はいるはず。何年後かの新人俳優のインタビューで、「役者を目指したきっかけ:『MIU404』」という答えが載っている。そんな未来にニヤニヤするし、それもまた分岐点だ。

同じように「ひとりでも多くの人に『ドラマって面白いね』と思って頂き夢中になって頂くことが、僕がドラマにできる恩返し」(※2)と綾野は語っていた。その成果は、もうわざわざ書く必要もないだろう。

たくさんの人が毎週金曜日を楽しみにしていた。22時が来るのを胸弾ませて待っていた。改めて思う、エンターテインメントは決して不要不急ではないのだと。このドラマを日々の糧にしていた人は、きっと大勢いるはずだ。

テレビをつけたら誰でも観られる。日常のすぐそばに非日常のワクワクがある。それが、連続ドラマの素晴らしさ。『MIU404』は、連ドラの面白さを改めて確認させてくれた、極上のエンターテインメントだった。

※1・2ともに『SWITCH Vol.38 No.5』(スイッチ・パブリッシング刊)より引用

文・横川良明    イラスト・月野くみ
2020.09.06   PlusParavi


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