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編入して、よかったこと【東京外国語大学3年次編入編#2】


みなさん、こんにちは。
2021年卒の元外大編入生、ぱれすぅ〜です。今回は前回に引き続き、編入してよかったことを書こうと思います。
前回の記事では大変なことを書いたので、思いのほか脅しっぽかったかもしれませんが、いや〜、苦労した先にはちゃんといい収穫もありました!
そんな話をゆるりと書きますので、興味のある方はゆるりと読んでくださいませ。
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前回の記事↓



①経験の豊かさ:俯瞰した目の体得

みなさん、大学に存在する編入制度が存在するのはなぜでしょうか?
ぱれすぅ〜の個人的肌感では、「大学教授陣が一緒に学びを重ねていきたいと思うような生徒を探す場」であるように思います。

大学受験では「学力」を指標に生徒が選抜されます。
一方で編入試験は学力試験を受けつつも、「志望動機」「将来の展望」「面接」など、個人的な「人物像」を見るための選考が続きます。

実際に編入生の集まりを見るとその経歴は十人十色で、元々海外の大学にいた人や個人的にラジオの仕事をしている人、超中国政治・歴史のオタクっぽい人、言語とは異なる社会人経験を経てきた人などなど、編入合格者には「学力以外の強み・意志」があるように思います。そうした人たちと出会い話すだけでも、吸収するものはたくさんあります。自分の中にあった一定の枠に疑問を持ついいきっかけになったり、互いの「編入生だからこその大変さ」を分かち合い、一緒に戦う仲間にだってなります。

また、編入しているということは複数の環境の違いを知っている人間である事も忘れてはなりません。生粋の外大生は外大の校風しか知りませんが、編入生は他も知っていることから「外からの目」「内からの目」の二つを持った状態でその環境にとどまる感覚を持っています。
自分自身が編入生だったときは、外大のいいところ、よくないところを他の大学での経験と照らし合わせながら捉えていました。外大と前の大学のネームバリューだけを見ていた時代とは異なり、それぞれの大学の良し悪しに感情的に反論することなく、自分の展望を主軸に大学を利用しているような感覚だったように思います。

つまり、編入生は二つの(大学の)異文化を掻い摘む「異邦人」的ですが、そうだからこそ見えてくる視点があり、それは時として客観的で俯瞰的であったように思います。

②人脈が広がる可能性が高い

このような外大と他のバックグラウンドを持つ編入生は、さすらいの民だからこそ会う人の数が圧倒的に増えます
人脈の作り方は人によって異なるのでそのつながりのスピード感や深さは十人十色でしょう。ぱれすぅ〜自身、元々は人見知りで「狭く深く」関わるタイプです。そうなると、人脈は案外広がらないもの。
しかし、環境を変えれば新たな「類は友を呼ぶ」現象が発生したり、「前の環境とはちょっと一味違った自分になって、新たな輪を一から作る」ことだって可能です。

ぱれすぅ〜自身、前に通っていた大学での自分と外大時代の自分、そしてフランスにいる今の自分は、同じ自分でもコミュニケーションにおいては若干違う人物像を持って行動しているように思います。

具体的に言えば、それは家族に対する顔と外に対する顔の違いに近いように思います。
ぱれすぅ〜は家族に対する顔はずっと変わらないようで、両親からは「いつまで経っても子供の頃と変わらない。フランスに行けば、若干変わると期待していたのに」とよく言われます。
しかし、厳密に言えば、家族には家族にだけ見せる顔があって、それを変えていないだけ。外での顔は、相手との関係性をもとに自分をカメレオンのように変化させていると思います。例えば、「バレエ」の話をする友人もいれば、「恋愛」や「日常生活」の話をする間柄の友人、はたまたバレエの話でもより自分の時間軸とリンクして話せる人や過去話で花が咲く人など、話題によって過去の控えめな性格だった時の自分を引き出したり、今の変化し続けている積極的な姿勢の自分を出したり、さまざまです。

話は戻りまして、外大という新たな空間にいけば、それまでに会えなかったようなタイプの人とも会えます。それは同級生に限らず、先生方やサークルの先輩、OBOGなどなど。そうした人とあって刺激を受けて、自分をよりいい方向に変えることだって可能です。

大学では勉強よりも案外、こうした人間関係によって自分を成長させる機会が多いように思います。なので、よりたくさんの人と会える可能性を秘めた編入生は、とても有意義な大学生活を送れる可能性が高いとも思えるのです。

③将来設計に対する感覚が研ぎ澄まされる

ここまで書いたよかったこと二点「俯瞰した目」「人脈」につながる話。それは、「自分の将来設計をよりアクティブに考えられるようになる」と個人的に思います。
そもそも、編入を決めた時点で、書類選考においてはあらかじめ自分の将来設計を具体的に提示する必要があります。大学前半戦を終えつつある編入受験生が頭を抱えながら文章化するこの作業こそ、まず編入生の強みです。

大学生はよくも悪くも自由です。しかし、だからこそ個々の将来に対する意識の違いが色濃く出る時期でもあります。

ここで編入生が将来設計を文章化する意義。それは、自分の中でなんとなく考えているものを具体化し、他者にわかりやすく説明できるまで昇華していること。なぜこの意義が大切かというと、他者と共有できるくらいになれば自分以外の視点から見た他の将来設計の可能性を聞くこともできるから。

例えば、私の外大編入で変わった将来ヴィジョンの変化の話をしましょう。
前の大学にいたときはなんとなく「フランス語圏だけで舞踊を見たいわけではない」という問題意識から「フランス語圏に所属しつつも、世界的芸術事象を学んだ上で改めて自分の研究対象を深めるエッセンスを掴む」という目的のもと、外大受験を始めていました。
その目的の方向性は実際に編入後実感できましたが、予想外の収穫もたくさんありました。外大でのゼミの先生の影響で「芸術関係の研究者の実際」を垣間見る機会を得たり、留学経験者の先輩が増えたこと、そしてより言語学的・地理文化的なアプローチでフランスを見る機会が増えたことによりフランス留学をより具体的にイメージできるようになったり、「舞踊学」と一言で言っても実際は他の学問をベースにした教授がほとんどだと分かったり,etc.。前の大学では広がらなかったような世界観を知ることができました。
また、ゼミの先生に自分が将来舞踊の研究者になりたいことを正直に伝えて相談したときは、その道の先駆者(舞踊が専門の先生ではありませんでしたが、研究者としてという意味)だからこそわかるアドバイスをたくさんもらえました。

そう、こうして見えてくる景色は、自分が誰かに「こうなりたいんです!」と意思表明しないことには始まりません!

将来に対する目標を他人に言うことは勇気が必要です。
しかし、「そんなちっぽけなプライド・恥は今のうちに捨ててしまえ!」と思い行動したことは、結果として自分のためになっていると思います。
編入を通して学んだことの一つに、こうしたハングリー精神があり、それが結果として「将来設計に対する研ぎ澄まされた感覚」に繋がっているのかなと思います。

④プライドと謙虚さのバランス感覚を養える

ここまでの流れからもわかる通り、編入生は決して王道を歩んできているという感じではありません。でもだからこその、「邪道なりの人間らしさ」を鍛える機会にもなっているように思います。

前の記事で「自分はエリート集団の中に入った部外者で、自分だけ劣っているように思えてしまう」現象について書きました。しかし、こうした負の意識があるおかげで、自分は決して驕り高ぶる姿勢にはなりません。

かといって、ずっと自信がないわけでもありません。ちゃんと編入試験に正面から取り組んで受かったのですから。そもそも、編入生として選ばれた時点で大学側にはある種の期待を持ってもらっていると私は捉えています。少なくとも、「卒業できないような生徒を入れる」ようなことはしないと思いますし、そもそも編入試験に受かることも楽ではありません。だからこそ、「自分はできる限りの努力をして、受かったんだ」という自負もあります。

このように「劣等感に近い負の感情」と「それなりにやってきた自信」が介在する状況の編入生は、謙虚さとプライドのバランスを保ちやすい人が多いのではないかと思います。もちろん、生粋の外大生もそういう人は多いように思うのですが、外大以外の世界を知っているからこそ「自分の社会的ポジションを客観的に見た上で、自分の心持ちや立ち位置を考えられる人」が多いように思います。

まとめ

いかがだったでしょうか?
なるべくマイルドに書くつもりが、思いのほか熱を上げてしまいました。まるで、フランスのサッカーファンのように😅
少しでも、これから編入する人や編入に興味がある人の参考になったら幸いです。
では〜!

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