スポーツとパリテ

谷口真由美(日本ラグビーフットボール協会理事/大阪芸術大学客員准教授)

ご縁があってスポーツ業界に身を置くこととなり、ど真ん中から2019年のラグビーワールドカップや、東京オリンピック・パラリンピックを眺める機会を頂いております。

今年2月3日は、例年と違い節分ではありませんでしたが、忘れられない日となりました。この日、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長であった森喜朗さんが、日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会において、女性が入る会議は倍の時間がかかるという発言をされました (※)。
(https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/02/04/kiji/20210204s00048000348000c.html)

名指しをされたラグビー協会の女性理事の一人が私だった、ということから、友人たちから「わきまえない女って名指しで吊るしあげられているよ」と連絡をもらい、大変驚きました。その後、マスコミからもたくさん取材を受けることとなりました。

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/02/05/kiji/20210205s00044000096000c.html
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210212-OYT1T50071/
https://digital.asahi.com/articles/ASP2C3J2GP26PTIL00S.html

結果として、国の内外からの批判の声が大きくなり、森さんはオリパラ組織委員会の会長を辞されました。数年前ならどうだっただろう? 新型コロナ禍がなければどうだったろう?オリパラでなければ、森さんが会長を辞することにまでなったのだろうか?ということについて、ぐるぐると考え込んでしまいました。本質的な女性差別であることを日本社会の中で理解されたうえで、看過も容認もできないという声があがったというよりは、世界三大スポーツ大会の一つといわれているオリパラ開催国である日本の組織委員会会長という立場であったことが、辞任に至る大きな要因となったことは間違いないでしょう。

オリンピック憲章には、スポーツをすることは人権の一つであることや、性別や性的志向などのいかなる差別も受けないと明言されており、それを実現する場として単なるスポーツ大会という枠組みを超えた位置付けとして、「平和の祭典」と呼ぶまでにオリンピック自らが動いたことは間違いありません。例えば、1993年には、国際オリンピック委員会(IOC)による度重なる交渉の末、国連総会で大会開催中の休戦を呼びかける「オリンピック休戦」決議が採択されました。当時の国連広報センターのホームページには「国連史上いかなる決議よりも多くの加盟国に支持された」と記されています。
(オリンピック憲章https://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2020.pdf)

現在、理解されている「オリンピズム」とは、「スポーツを通じて、フェアプレーの精神を学び、心と体をきたえよう。そして、国や文化などのちがいに関係なく、おたがいに理解し合い、友好を深めて、世界平和につなげていこう」考えのことですが、このような考えを徹頭徹尾いきわたらせないといけない大会のトップの考えとして、国内外から不適切であるという声が大きくなったのが、森さんの辞任の背景でしょう。

しかしながら、スポーツ界のなかで、また政財界のなかで中心となっている男性たちにおいて、森発言の何が問題だったのかについて本質的に理解している人は、まだまだ少ないのではないかとすら思えてきます。実際、スポーツ/政財界では「あれくらいのことでなぜ辞任にまで?」「いやいや、発言には気を付けないといけませんね」という方をたくさん目にしました。しまいには、「日本の家庭の中では女性が強い」などという的外れなことを恥ずかしげもなく発言される方まで。何かと似ていると思ったら、「セクハラ」が世間に周知されだした時代に、「いやいや、何でもセクハラって言われたらかないませんなぁ」と言っていた、あの時のおじさんたちの様とソックリではありませんか。

ざっくりいえば、日本のスポーツ界の本質は、年功序列体育会系気質の上意下達をよしとしていること、忖度が求められること、同質性が求められること、異分子となるとはじかれることにあります。そのような中で、意思決定の場まで残った人たちが、わきまえる人になるのは当然の帰結です。また、社会の公器たるマスコミも、スポーツ界においては、かかる人たちと同根にみえます。女性差別の問題に、アンテナがきちんと立っている記者やデスクの少なさという罪深さ。もし多ければ、もっとスポーツ界における女性差別やジェンダー差別の問題は、これまでに大きく報じられてきただろうと考えます。

このように、挙げればキリがないほど、スポーツ界の構造にプログラムされシステム化されている「女性差別」「ジェンダー差別」の問題があるということなのです。つまり、オッサン業界そのものです。それでは、この問題の解決の糸口はどこにあるのでしょうか?

答えは簡単です。わきまえない、空気を読んでも支配されないという異分子を、同質化された組織やグループの中にどれだけ入れることができるのかにかかっています。いまいる人たちによって心地の良い同質化・均質化された組織は、誰かを排除し、差別することで成り立ってきたともいえるのだともいえます。これからもスポーツが日本社会にとって必要だと思う/思ってもらいたいのならなおさら、日本の「スポーツ界」は、一刻も早く「体育会」から脱却すべきです。

スポーツ界におけるセクハラをはじめとしたあらゆるハラスメント、女性アスリートの地位の低さ、女性指導者の数の少なさ、各スポーツ団体における女性職員の管理職の割合の低さ・・・性差別の構造的な問題を抜本的に解決するには、まだまだ時間はかかりますが、スポーツ庁がガバナンスコードとして掲げる、各競技団体における女性役員比率40%の到達こそ、フェアプレーの精神で競って欲しいものです。現役のときに素晴らしいアスリートだった人が、指導者や役員となり、人権意識がアップデートされず、差別主義者となっていたことを見たいと思うファンは、誰もいないでしょうから。


(※)「これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います。
 女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。
 私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。」

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