アートとパリテ

柳田ありす(俳優・演出)

本来、芸術は、社会の規制、こうあるべという概念をぶち壊し、人々の意識(魂)を目覚めさせてくれるものであり、年齢もジェンダー、障害、あらゆる多様性を超えて、アートを通して、つながり合い、分ち合うという使命があると思います。私自身は、映像や演劇活動をしていますが、ドラマは、人間の心の在り方を描いてこの時代に真実、何が起きているかを私たちに気づかせてくれます。

だから、俳優は、舞台の上では男も女もなく、人間として平等な存在です。もしかしたら、唯一平等な職業かもしれません。

にもかかわらず、残念なことに、俳優でなく、「女優」と紹介された途端に、社会からは奇異な目で見られ、偏見視されることがしばしばあります。

世間的に、たくさんの誤解から生まれる奇妙なストーリー。「演出家」「プロデューサー」「作家」は必ず男性であり、パワーがあるもの、と思われています。「女優」はその女性の武器を使い、媚び、自分の仕事を得る、というような、今では決してあり得ないストーリーを世間は信じています。それが作られた物語です。しかし、それが誤解だけでなく、「MeToo」にあるような、パワハラの状況が最もまかり通っている、悲しい現実があります。私は、これまで、周りの後輩たちの女優さんたち、女性スタッフさんからは、泣き寝入りのような現場や、セクシャルハラスメントの現実と痛みを体験した方々の話をたくさん聞いて来ました。

映像の世界でも、演劇の世界でも、まだまだ、こうした平等でない信じがたいことがたくさんあります。これは私たちがしっかりと声をあげていかなければなりません。

また、日本の作品創作においても、作り手と観客の意識の遅れを感じています。

大半のドラマは、男性がこうあってほしいと願う女性像を、作家が描いているからです。真の女性の目覚めからはほど遠い作品が多いのです。

これからは、こうした刷り込まれた考えから、解放されていく活動、ムーヴメントが大切だと考えます。
芸術とは、特別なものでも、特別な人のものでなく、すべての人、ひとりひとりの、生きる術(すべ)なのです。

アートの世界こそ、パリテであるべきものです。

これからも、ますます、女性たちがあるがままの自分を愛し、認め合い、真に目覚め、生き生きと活躍でき表現できる場所つくり、創造の場作りの提案をしていく必要を強く感じています。

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