憲法とパリテ

黒澤いつき(明日の自由を守る若手弁護士の会  共同代表

立憲主義とは何か、講演などでは、例えば「権力を憲法でしばる」、「権力を憲法という名の檻に入れる」などと話します。続けて、「とはいっても、この檻は鋼鉄でできているわけではなく、現実には国民とマスメディアが、憲法を破る政治家や政党を許さないぞ、という強い意思で政治を監視することでやっと鋼になれる。逆に、無関心で放置すれば、憲法は絵に描いた餅になるでしょう」なんてことを話します。
どんなに多数の議席を持っていようが、憲法を無視することは許されません。しかし政治がどんどん国民の世論と乖離するのはなぜか。立憲主義のブレーキがなかなか効果的にかけられないのはなぜか。悔しさや怒りと共に、疑問が湧きました。
その原因の一つが、「女性議員が少ない」ことだと思います。国民の声が議会にきちんと正確に届かなければ、国会は「この国の課題」も「国民が望むもの」も把握できません。今の日本の「ほとんどが男性議員」の国会が、性暴力被害者の苦しみや、仕事と育児の両立のしづらさ、あるいはケアワークの待遇の悪さを、深刻な課題として理解することは極めて難しい。(あらゆる差別にも共通することですが)差別を無くそう!という話し合いの場には「差別されている当事者」がいなければ実りある議論はできません。
また、性差別の解消は性別役割分担の発想をやめよう、ということです。家事・育児・介護を女性にだけ負わせるカルチャーを終わらせるこは、“企業戦士”として家庭から引き剥がされてきた男性にとっても、「有害な男らしさ」から解放され自分らしい生き方・働き方を歩める大きな一歩です。国会のジェンダーの歪みをただすことは、すべての人の人権保障と、民主主義の歯車を正常に回すための、喫緊の課題です。
立憲主義のブレーキがうまくかからないことに関しては、国会だけでなく、司法の分野に女性が少ないことも深刻な問題です。「憲法の番人」と呼ばれる最高裁判所の裁判官は、定員15人。そのうち女性はたった2人です。性差別や性暴力の案件を裁く場に女性がいないことで、どれだけ事実認定や評価に歪みが生じてしまうか、想像に難くありません。2015年、別姓を認めない(同姓を強制する)現在の婚姻制度は憲法違反だと争った裁判で、最高裁大法廷は「合憲」の判決を出した際、女性裁判官3名は全員違憲だとして反対したことは、象徴的な出来事でしょう。このように、国会や司法の場に女性が少ないと民主主義も立憲主義も危うくなるということは、意識的に、積極的に女性を増やすことは憲法が要求していることなのだ、と考えるのは、言い過ぎではありませんよね。

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