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ファイブ・イージー・ピーセス

リキッドルームの上階にラウンジのようなスペースがある、そこのバーで飲んでいたら、隣に並んで飲んでる知人カメラマンに耳打ちされた。

「あの女、ずっとお前のこと見てるよ」

そっと振り向くと、なるほど、ソファに座り花束を持った女が俺を見ている、パーティの帰りだろうか、高価そうな千鳥格子のノースリーブのワンピースを着て連れの男と座っている、ヴィンテージのアロハシャツの袖口からタトゥを覗かせたウェリントン眼鏡の連れの男は気づかず、後ろの席の革ジャン男と馬鹿話に夢中だ。

「いい女だな、鎖骨のくぼみにペンダントの鎖が弛んで溜まっているぜ」

「まだ見てるよ、知り合いなの?」

「いや、知らないな、なんだろうな?」

約10メートルの距離を置いてずっと俺を見てる。これはただごとでは無い、イエガーマイスターのパイナップルジュース割りのグラスを置いて、指先で「君と僕」「君と僕」 というシグナルを送ってみると、彼女は微笑みながらゆっくりうなずいている。

連れの男が帰り支度をして席を立ったので、俺がソファに近づくと、 彼女も花束とバッグを持ったまま、立ち上がって俺のほうへ歩いてきた。

「もう帰るの?」

「久しぶりね」

「どっかで会ったっけ?」

「やっぱり忘れてる」

「?」

「覚えてないのね」

「ヒントぐらいくれよ」

「私が電灯を消してって言ったら、真っ暗にしてテレビの灯り 
 だけにしようって言ったでしょ?」

「!?」

「私、あのときテレビでやってた映画のタイトルまで覚えてるのよ」

「ちょ、ちょっと待ってよ、あ、彼氏が来た、あとで連絡するから
 メール教えてよ」

「ダメよ、私、結婚したんだから」

そういうと彼女は3~4人で連れ立って、暗い階段を下りていった。
混乱している俺が立ちすくんでいると、いきなり階段を駆け上って戻って
きた彼女はアーモンド型のきらきらした眼を輝かせながら、

「ファイブ・イージー・ピーセス」

とだけ言って、また急いで階段を下りていった。

俺はその瞬間、真っ暗な部屋に置かれたテレビのブラウン管の中でジャック・ニコルソンがボーリングをしているシーンや彼女の細いウエストやレースの下着、その頃住んでいたマンションのシャワーの水圧の凄まじかったことまで、すべてをまざまざと思い出していた、バーカウンターで一部始終を眺めていたカメラマンがこっちを見て不首尾を笑っている。

「ふられたね、一杯おごるよ」

「ああ、乾杯しよう、アメリカンニューシネマと儚い記憶に乾杯だ」


初出『プロ無職入門』2012・3