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『美ら島 美ら唄 オキナワ・ベスト・ミュージック・コンピレーション』

琉球古典歌謡から、おなじみの島唄、最新沖縄エレクトロニカまで、有名無名を問わず沖縄の歴史を凝縮した内容のオキナワンミュージックの決定版!

1.首里天きやすへあんじおそいがなし 安仁屋盛彬
「おもろ」は琉球王朝で儀式の際に唄われていた古典歌謡。メロディの起伏が無いところからアントニオ・カルロス・ジョビン「ワンノート・サンバ」の影響が指摘されていますが、初期琉球王朝とボサノバの関連については、年代があわないとの指摘もあります。ここでは琉球王朝復興を唱え続けてトランス状態に陥った、安仁屋盛彬氏の精神病院での貴重な実況録音を収録。

2.けっけれぐわ節 嘉手苅朝喜
卑猥な歌詞の多い島唄の中でも、きわめつけの猥歌を得意とした、伝説の島唄演者にして沖縄一のプレイボーイ嘉手苅朝喜による、放送禁止ソング(日本本土では歌詞聞き取り不能のため放送可能)。内容はとてもここには書けませんが、一聴してホルモン分泌が亢進されるその卑猥さは、確実に性犯罪を誘発する作用があります。

3.ミンタミー節 大城守賢
ミンタミーは目玉の意。本土復帰前後に暴れまくった沖縄ヤクザの神話的人物「新城喜史」を讃えた唄で、いまでも沖縄の刑務所の中で盛んに歌い継がれています。迷彩服の上下にねじり鉢巻をして、パスポートも持たずに漁船に乗ってマカオのカジノまで出かけていく粗暴なヤクザヒーローの姿が目に浮かびます。

4.ハイサイおばさん 豊見城昌信
ウチナーポップの金字塔、喜納昌吉の「ハイサイおじさん」へのアンサーソングとして1978年に発表されたこの曲は、さまざまな歌手やバンドによってカバーされています、また喜納昌吉氏への反選挙キャンペーンソングとしても使用されました。その後ごたごたで落選した喜納昌吉氏は、実はこの唄が大好きで、自身の経営するライブハウスで興に乗って唄う姿が目撃されている、ほほえましいエピソードもあります。

5.鼻~すべての人の心に鼻を~ 與那嶺舞天とチンボーラズ
全世界で3000万枚以上を売り上げている喜納昌吉の大名曲「花~すべての人の心に花を~」は世界各地でさまざまなカバーバージョンを生み出しました。とりわけ南米コロンビアやブラジルではコカイン常習者の間で人気が高く、沖縄系ブラジル人2世の與那嶺舞天がこのスピンオフソングを吹き込みました。喜納昌吉氏はこの唄が大好きで、自身の選挙事務所で興に乗って唄う姿が目撃されています。

6.勝連クファディーサー 仲井真栄昇
琉球語で「かきまわす」という意味の「カチャーシー」は、祝いの席や宴のクライマックスで即興的に乱舞するアップテンポの踊り。沖縄人の集まりでは全員踊ることが強制され、拒否したものがリンチされ殺されるという痛ましい事件も起こっています。ここに収録されたのは、800bpmという超高速カチャーシーで、踊る者の手の先が残像になって見えるほど激しい曲です。

7.コザ・イズ・バーニング コンディション・パープル
70年代の沖縄歓楽街には米兵相手のハードロックバンドが数多く存在し、猥雑なバーやクラブで荒っぽいパフォーマンスを披露していました。コンディション・パープルはとりわけ屈指のライブバンドで、演奏時にはかならず暴動が起き、暴動を鎮圧するために空母が出動したことすらあるそうです。有名な騒乱事件「コザ暴動」もコンディション・パープルの演奏に興奮した観客が引き起こしたという説があります。ここでは彼らの代表曲を未発表ライブ音源でどうぞ。

8.エイサー子守唄 Aサイン・シスターズ
沖縄には伝統的にアメリカンポップスの影響を受けたコーラスグループが多いのですが、島唄の大家、具志堅朝苗を父にもつ具志堅姉妹によるAサインシスターズは、幼い頃から米軍基地のステージで鍛えられた本格派。ふだんはアメリカンポップスのカバーで占められる彼女たちのレパートリーの中では異色作である「エイサー子守唄」を紹介します。作詞作曲はなんとあの玉那覇勇賢。

9.タコライスもう一杯 内蒙古800
本土と違い、いまでも民謡の新曲や新人が(を 差し替え)毎年多数輩出する芸能大国オキナワ。その層の厚さはパンクバンドにおいても顕著です。これは全国で大ヒットした彼らのデビューアルバムからの曲で、彼らの代表曲となりました。ゆいレール構内放送でのジングルにも使用されているので観光客にもおなじみでしょう。

10.毛遊び 比嘉恵子・伊波栄昇
毛遊びとは沖縄で行われていた若い男女の乱交パーティのことです。現代でもビーチパーリーと名を変えて行われており、うらやましい限りです。南島のおおらかな性風俗を屈託無く歌い上げた、この唄はまさに沖縄青春歌謡の決定版で、沖縄代表の甲子園での応援やビールのCMで使われているので、メロディをご存知の方もおられるでしょうが、本土の人は毛遊びを知らないので、この唄は沖縄県人同士の符牒になっています。なんの符牒かはもちろんいうまでもありません。

初出 『八画文化会館 Vol.2』2012・8