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2 病院の匂いとコスモス ・・・#実験小説 #あまりにもあいまいな

「男に女を差し向けて交わらせ、女に男を差し向けることによって」パルメニデス(「アリストテレス「自然学」31,10)

 普通、人間は何歳頃迄記憶を辿ることができるのだろうか。

 父大塚巧は、戦後最大の労働争議であり、「革命前夜」とまで言われた「三井三池大争議」の極限状況下での大人たち、人間たちの余りにも特異な出来事のために、2-3歳の頃の記憶の痕跡があった。

 巧の母親☆☆は、巧を産んだ後、妊娠中絶をくり返していた。4回目、子宮外妊娠だった。○○大牟田病院で大手術した。死線を彷徨い、半年近くもの入院となった。

 未だ幼かった巧は、++農家に嫁いでいた*番目のお姉さんの所に預けられた。父親****が一目惚れしたお姉さんの所である。

 ○○(熊本では「△△△」と発音する)のお姉さんの嫁ぎ先は、山の中の部落である。

 巧には、鮮明な記憶が残っている。男尊女卑が根強い熊本では食事の時、お姑、お舅には絶対服従であり、甲斐甲斐しく卑屈にまで世話をするお姉さんの姿と、お姉さんの子どもたち・・みんな押し黙って正座して食事している。お姑、お舅は、幼児の巧には愛想笑いどころか全く声も掛けず、同年代の子どもたちからも巧は全く無視された。それどころか、「町の子」巧の「町のことば」遣いをクスッと薄ら笑いするのを敏感に巧は感じ取った。

 誰も遊んでくれず、孤独だった。お姉さんの目の届くとこに居たには居たが、お姉さんもひっきりなしに忙しなく家事やら家畜の世話やら畑仕事やらに手いっぱいだった。

異国

 九州の、熊本の蝉は、それらしい鳴き方をする。ずっとずっと後、沖縄のジャングルの中で蝉の声を聴いた時、この時の蝉の声を想いだした。とてもよく似ているけど、琉球は琉球の蝉の声であり、熊本は熊本の蝉の声だった。九州の、熊本の夏は、それらしい「暑さ」がある。そのじっとりした、木々の葉の匂いと、激しい迄の蝉の鳴き声。九州の、熊本の、○○の「農家」は、それらしい匂いがある。絵本を読んでくれるどころか貸してもくれず、子どもらしい遊びにも入れてくれず、巧は唯々、そんな「空気」をひとり吸っていた。毎日毎日、何をするでもなく・・。

 暫くして、○○のお姉さん(巧にとって、おばさん)が○○大牟田病院に見舞いに連れて行ってくれた。

 今の病院とは全く違った病院特有の消毒液の強い匂いがある。木造建築の、小学校みたいな、病院の渡り廊下と、真っ白い看護婦さんたちの姿と、庭に咲くピンクのコスモスの花が鮮明に目に焼き付いている。

 母親は泣いていた。唯々泣いていた。

 子どもらしい感情を出すこと、わがままを言うこと、駄々をこねることすら知らない幼児は、母親の涙をじっと見つめることしか出来なかった。母親も、母親らしい愛情溢れる笑顔も見せず、ひさしぶりに会った我が子に嬉しいという感情も出さず、抱き抱えるでもなく(医師から禁止されていたのかもしれない)ただ、泣いていた。

 巧は、訳もなく、唯ひたすら、かなしかった。言いようのないかなしさだった。何故かなしいのか、それすら、わからなかった。涙をいっぱい溜めても、大泣きするこどもではなかった。

 ずっと後になって、母親がお茶飲み話で友人に話していたのだけど、自分が死んだら、こどもがひとりになり、継母に虐められるから絶対死ねないと頑張ったそうである。かなり危なかったようである。その時の輸血で、その後一生慢性C型肝炎の体となった。

 しかし・・あの涙は・・違う・・気がする。

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