枯渇と渇望

 毎年6月は体調不良が重なるのだけど、今年も微妙なままで毎日過ごしている。例年と違うのは、調子が悪いなりになんとか仕事をこなせていることだ。

 それにしても、自分からの発信やリアクションを出す気になかなかならないというか、世間の事象になかなか言及する気力が沸かない。それはあまりに現実と乖離があるように感じられることもあるし、これが世の中のためになるのか、果たして自分が書くべきことなのかどうか、そう逡巡しているうちに時が過ぎてしまう、ということもある。

 個人的にショックだったのが、4月に書いたYahoo!ニュース個人の記事のアクセスが芳しくなかったことだ。これは僕が書くべきだと思ったし、それなりに問題提起をしたつもりだったし、それがきっかけでラジオにも出演させて頂いたのだけど、単純に「読まれない」というのは結構きついし、続けていくモチベーションが削がれたのは確かだ。

 特に独立系のネットメディアで、信頼に値するソースをもとに記事を出して、さらにそれが多くの読んだユーザーのためにもあるというのは、案外むずかしい。そして、それが「自分の意見」が入るオピニオン系の内容ならばハードルが一段上がる。それを出すのに、いまの自分では半端なものしか出せないだろうというもどかしさがある。

 その上で、記事を量産しなければいけない売文屋としては、常にアンテナを貼ってさまざまなジャンルの物事を見続けなければいけない。これをどこまで続けられるだろうか、という疑問や心配も身を削っていく。

 それでも僕は書き続けたいし、何かしら毎日書いていく。そうやって、自分の中の渇望感が湧き上がるのを待っている状態なのだろう。それが何か、今は分からないけれど、そう遠くない時に脳裏が沸騰するような、「自分が書かなければいけない」と思えるようなものがやってくるはず。これまでもそうだったし、これからもおそらくは。今はそう信じている。

 

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