言葉も変わったり、作られたりするものだから

何かの会話のときに一つの慣用句がお互いをモヤっとさせてしまうことがたまにあるわけで、

「いい加減」という言葉一つでも、おざなりにする良くない意味であったり、ちょうどいいところという意味で使っている人もいたりで、

大抵はいい加減というのは、おざなりにするように使われている事が多くあるので、ちょうどいい意味で使おうとすると躊躇することがあったりします。

言葉遣いはなるべく気をつけるようにしているつもりではありますが、今でも言葉を誤用していたことが判明したりなど、

日本人でありながらも母国語をよく知らなかったりするのだなと謙虚というか身が縮む思いをします。

若者言葉というとちょっと変な気もしますが、新しい言葉は10代や20代の人が作り出していて、エモいとか、わかりみとか、バブ味など、それは言葉の作り方としてどうなんだろうという嫌悪感があるのですが、

まあ、SNSで使う分には問題ないか、と最近は流せるようになってきました。

自分たちが今こうして通用している言葉遣いも100年前だったら、まず通じにくかったのでしょうし、自分らも100年前の文章は読みづらくてどうしようもなかっただろうと思います。

そう考えてみると血肉なった言葉遣いはその時代の環境や教育で形作られていくもので、今の環境で育った言葉が今の言葉遣いなんですよね。

そのあたりを嫌悪感だけで否定するものなら、現在のあり方を否定する態度にも思えます。

ここで想像するのが、価値観の変化が加速していく今の社会で新しい言葉が矢継ぎ早に生まれるでしょうし、いつかは3年一昔くらいになって、

新しい言葉も新陳代謝が進んで、10年後には昭和言葉なんて懐かし方言のように扱われてしまうなんてあるかもしれません。

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