日記、年末

スマブラハウスの忘年会に行きました。
大きい和室に、お寿司を囲んで、適当な座布団を敷いて、最近の話とか、今後どうするとか、そういう話とかしました。赤ちゃんもいたりして、赤ちゃんが泣いちゃったり、赤ちゃんをあやしたり、僕としてはこの光景がコロナ禍以降失われた親戚の集まりそのものだったので、なんとも僕の語彙力では表せそうにない、ただこれはいいものであるという感覚でした。
僕の実家はそこまで田舎ではないですが、毎年1月2日に父方の実家へ親戚一同が集まるイベントがありました。
イメージとしてはサマーウォーズみたいな感じ。
大きい庭付きの和風な一軒家。
幼い頃の僕は、お年玉をもらい、ご馳走を頬張り、従姉妹のお姉ちゃんとゲームするだけの、まあこれだけでも割とポジティブなイベントではあるんですけど、子供の頃の僕にとっては、移動中数時間も車に乗りお父さんの趣味である全く歌詞の理解できない音楽を聴いたり、ほとんど自由に使えないお年玉をもらうついでに勉強の話をたくさんされたり、同年代の人間がいない空間は、退屈な時間のほうが多いもので、面倒臭いと思っていたと思います。
父方の親戚の集まりですから、当然僕の母もアウェーで、原則母も僕に構ってくれるんですけれど、父には兄がいて、その兄に奥さんがいたり、父の母、まあ要するにおばあちゃんとも話さなきゃいけないわけで、僕も孤独な時間は長かったです。正月のためにおじいちゃん・おばあちゃんが用意してくれた高価そうな大トロを、胃もたれの心配など一切する事なく食べ続けながら、お父さんと叔父さんと、おじいちゃんの会話を聞いていました。会話の内容は、車がどうとか、釣りがどうとか、会社がどうとか、当時小学生の僕に到底興味を持つはずのない内容で、それでも、家族以外と話すお父さん、厳密には生まれ育った家族と話すお父さんの姿は僕が見た事のない楽しそうな表情をしていたので、それだけは印象的です。
高校生になってからは貰えるお年玉に制限がなくなったので、とても楽しいイベントだったと思います。貰える額も減りましたが。
当時からこの集まりにどんな意味があるのかよく分かってなかったし、何となくこれが大切だと気づいたのはコロナ禍以降この集まりが消滅してからで、現在もそれは復活していませんから、今日この機会に似た情景で思い出せた事が嬉しく思います。非効率的で、多分楽しくない人の方が多いイベントで、それでも長く続いてるというだけで、僕はそれが消えてから、大切なものだったと感じる事ができたので、そういった、なんとなく続いてる行い、特に人の集まりなんかは、失くさないよう努力していきたいと思いました。

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