2023.10.12

キツイ キツイな 薄目で過ごしてても目に入るあれこれ
刺激物が投入されるたびに波立つ界隈
動揺を隠せないわたしの心中 

日々安定しない情緒を抱えていて、文字にすることで何か整頓されるかもと、書き記します。

昨日まで大切にしたいと考えていたのは「劇団は本当に重い腰をあげて改善に乗り出すか」、「その結果として私は安心できるのか」、だったし、亡くなった宙組生に対しては、少なからず何度も舞台を見てきた身として思いを言葉にしたい、そうして弔いの気持ちを表明したい、言い換えれば私の気持ちを昇華したい、と思ってきた。だが劇団がご遺族の意向として名前を伏せるとのことで、そうする以上はこれも叶わずにいる。

これらの思いは劇団やジェンヌさんのため、とはおこがましくてとても言えず、全ては自分のためなんだろうと思う。

しかし某ヅカブロガーさんが書いていたように、某媒体は宝塚戦争を引続き仕掛けてきた。読んでいないし漏れ出た情報だけだけど、記事の該当人物を拡大したようでざわついている。中身の信疑はわからない。

こんな心境に突然放り込まれ、どう立っていたらいいのかわからない。今までほんとうに楽しませてくれていた。生活の一部だった。子育て中、なにも趣味のなかった私に彩りをくれた。

応援している方もいる。彼の(?彼女の?)笑顔が浮かんでは消えていく。

ジェンヌさんたちは反論をする術を持たない。反して某媒体は書き放題だ。
信憑性の話の前に、一方的に土俵に出された側と出した側という立ち位置であることは念頭に入れたい。

ただ、媒体を鵜呑みにするわけではないが、ずっと言われてきた旧体質をアップデートする必要はあると思っている。遅すぎたのだ。
劇団はどう対応していくのか。どう調査し、変えていくのか。
また、いつか出る結果報告を発表したとて、今回の件はそこで「わかりました」とはならない。気力が持つ限りは、時間をかけ、風土の変化を感じられるまで長い目で見守りたいと思う。

追記
●贔屓がいて、贔屓を好きで、贔屓を信じてきた事
●起きてしまった件を調査し、対応していく事。

この2つは全く別の位置づけなのだ。
わたしの気持ちの問題と、劇団の抱える課題はごっちゃにしてはいけない。前者を否定しなくてもいいし、同時に抱えていていい感情だけど、絡み合えばおかしな結論になる。

起きてしまったことには、一ファンとして向き合いたいと思う。今私にできることは、それくらいしかない。

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