広島ジャンゴから受け取ったものを書き残しておきたくて


広島ジャンゴ
天海さんが久しぶりに舞台に戻ってくる!と無条件で見に行くことを決めた。さらっと読んだあらすじにはこう書いてある。
「牡蠣工場のくせものパート(天海さん)と工場のシフト担当(鈴木亮平さん)が夢の中で西部劇の世界に。そこで天海さんは子連れガンマン、鈴木亮平さんは馬になっており・・・」
・・・・なんじゃそりゃwww そして馬の頭を抱えたポスターを見て、(ひゃーこりゃとんでもないおもろいもん来たな・・・)とワクワクしていた。
※ネタバレしています!

ジャンゴはコメディ?


思い込みの早さには定評のある私、すっかり広島ジャンゴ2022は”コメディ”と位置付けて、その後に時々入ってくる天海さんのインタビューで「何か感じ取って帰ってもらえたら」という思わせぶりなニュアンスや舞台公式からのSNS「暴力的表現があります」という情報もふんふん♪と明るく聞き逃して観劇当日を迎えた。

舞台が始まれば、私は人間ですと言い張る馬のディカプリオ(鈴木亮平さん)を完璧に馬として扱うおかしみたっぷりの天海さん、雨水はさすがに・・ちょっと飲めない(苦笑)と馬と人間の間で絶妙に暴れる鈴木亮平さん二人の巧妙な芝居振りに客席から笑いがおきる。

本当にここまで面白おかしくて、この後そんな展開になるなんて思いもしなかった。ジャンゴはコメディなどではなかった。ガンマンと馬を中心に、現代が抱える社会問題を描く舞台だった。

一人ひとりが抱える闇の応酬とエンタメの見事な塩梅


初回観劇時、すべて見終わっての感想は「全部詰めこまれてる」だった。ジャンゴには、現代の黒い部分が全部、全部、入っていた。

ブラック企業問題、ひどく心をむしばむ人間関係、気づかれにくいDV被害、親からの虐待、そして権力者が牛耳る狭い世界と同調圧力

今振り返っても、山盛りのテーマが容赦なく表現される。暴行・暴力シーンも容赦ない。容赦ないよ。男は馬乗りになり、膝蹴りはキマリ、振りかざしたこぶしが頬を打つ。

もう、もうやめて、と膝の上に握った手を何度握りなおしたことか。

よく、シャンゴの舞台評は“西部劇の舞台にうまくあてはめ…”といった文句で評してあるが、この容赦ない暴力シーンを見る者にデフォルメして伝えるには確かに効果的であったと思う。現代の設定のまま描かれたらシリアスが加速していただろう。

しかし西部劇の舞台というおかしみをもってしても、現代問題全部詰めのジャンゴは、提起される数々の問題、見逃されて苦しんでいる人々の存在がぐわんぐわんと見るものに押し寄せてくる舞台だった。

こんな重めの事情を抱えた人たちを描きながら、合間合間にクスっとしてしまうやり取りをぶち込んだ脚本家は天才ですか。そのやり取りをしっかり魅せきってしまう選ばれし演者さまがた、天才ですね。

妻を殴ったチャーリー(藤井隆さん)を撃ったジャンゴ(天海さん)に、「この人は山本さんの旦那さんじゃないんですよ!」とディカプリオ(鈴木亮平さん)が絶叫してドッと笑いが起きる。決闘でズボンを落とされ、さらにそれに気づかず歩き出す野村周平さんのまぬけさ、追い打ちをかけるパンツのカープの文字のバックプリント。

緊張の場面の中に放り込まれた笑い効果で、空気がシリアス一辺倒にならずに物語がスイスイすすむ。
笑いポイントは、笑うも自由、受け止めるも自由といった印象で、客席が笑っていても私には心にずんと来ていて笑えないような瞬間も多々あった。ずんと来ている具合は、十人十色。だからみんなそれぞれ好きに反応したらいいんですよ・・・そんなクスっとお笑いポイントの入れ込み方がうまいなと感じた。

役者さんたちはアンサンブルの皆様含め本当に素晴らしく、特に酒場の女亭主、ドリーを演じた宮下今日子さんには大変惹かれました。カテコのごあいさつで熱視線を送っていたら応えていただけたように感じてとっても嬉しかったです。ドリーについてもまた考えてみたい。

木村の姉、みどりちゃんのこと

広島ジャンゴにはあらゆる社会の困りごとが表現されているけど、一番ぐわっと心に残るみどりちゃんの事を書きたいと思う。

みどりちゃんは木村(鈴木亮平さん)のお姉さん。ブラック企業の過重労働が原因で自殺している。黒いリクルートスーツに新入社員ヘア。みどりちゃんは実際に某企業で苦しみ命を絶った彼女を彷彿させるね・・・。自殺したみどりちゃんは時々弟である木村の部屋にやってきて、そして今はこの西部劇のいざこざの夢を木村に見せているようだ。

どうして自殺なんかしたんだ、追い詰められていたなんて言ってくれないと分からない、自殺なんかしないでここへ逃げてくればよかったのに、と絞り出して訴える木村。ほんまやね、そんなこと全然かんがえられへんかった、とみどりちゃんが初めて、自殺に至る直前の体の中、脳みその中を言葉にする。

終わらない仕事にもう限界も近い心理状態の昼休み。20分間という一般的には短すぎる休憩時間をありがたがるみどりちゃん。やっと取れる休憩。それがホッチキスの買い出しに行かなくてはならなくなり短くなること、コンビニ行くならおにぎり買ってきて、わたしは鮭、私はツナマヨ…相次ぐ注文。
慌てて書いた手のひらのメモは急いで走った汗で消えた。わたしはあほや なんで油性で書かなかったんやろう、なんでメモに書かなかったんだろう。 ああ、橋だ。橋がある。この川を下ったら、そしたら海に流れ着く。海に流れ着くんかぁ。

誰しもに起こりえる、他人から見たら些細かもしれない”しんどさ”の積み重ね。言えんかったしんどさの積み重ね。だれかに相談したいという思考回路さえ絶たれているしんどさの積み重ねで、みどりちゃんは命を絶った。

どうすればよかったのか。そんなときどうすればよかったのか。

みどりちゃんは、ブラック企業に立ち向かう労働組合を創設してほしかったんじゃない。スーパーヒーローに登場してほしかったんでもない。

ただただ、気にしてくれる人が一人でもいれば。あれ?大丈夫かなって見ていてくれる人が一人でもいたら。そうしたらみどりちゃんにも、違う選択があったかもしれない。

西部劇の世界で孤独なガンマンであるジャンゴ。広島の街のために戻り、戦い、そして傷ついたジャンゴ。そのジャンゴにみどりちゃんは自分を重ね、ジャンゴのために戦いの場に出ていく。

傷を負ったジャンゴをやさしく抱きしめそっと大事に休ませて そしてギッっと男たちをにらみつける ギッっと男たちに向けた視線は、強い強い意志を持った迫力で。
夢の中に現れたみどりちゃんは、辛くてもつい笑い顔になってしまうみどりちゃんではない。つらかった時、手を差し伸べる誰かがいてほしかった。その”誰か”に、今度はみどりちゃん自身がなって見せた。ジャンゴにとっての、手を差し伸べる”誰か”に。

一人西部劇の世界で浮いているみどりちゃんが、むさくるしい西部の男たちを相手に蹴り飛ばし叩き落していくシーンは圧巻で、まるで宙を舞っているような迫力だった。きっと本当はこうして誰かに寄り添ってもらいたかったみどりちゃんが、ジャンゴに寄り添い戦うのをみて、私は嗚咽が止まらなかった。

シーンは前後するが、戦いに挑むジャンゴに、僕は何をすればいいと訴える木村。その木村にジャンゴが「あんたは、私を、みていて」と告げるシーンのハッと気づかされる衝撃。

わたしを、みていて

壮大な社会問題を全部詰めで、容赦なくみせた1幕と2幕。権力、圧力の前に、個々人はまるで力のない存在のように思えるかもしれない。
でも、違うんだ、できることがあるんだよ、壮大な社会問題に立ち向かう術がひとりひとりにある。。それは、誰かが誰かを”気に掛ける”ということ。

これが、これが広島ジャンゴのメッセージだった。

ブラック企業問題、ひどく心をむしばむ人間関係、気づかれにくいDV被害、親からの虐待、そして権力者の独裁と同調圧力

まるで何から取り掛かったらいいのかわからないほどの巨大なタイトルたち。でも、あるんだ、私に今すぐにできることが、あるんだ。。。あるんだ!!

現代の問題を西部劇を通じて容赦なく描いた終わりに、気に掛ける、というとても些細な、しかし勇気が必要な手の差し伸べ方を提案している。
文字にしてしまうとなんてちっぽけと感じるような事かもしれない。でも、広島ジャンゴは観劇を通じてわたしに小さな希望を教えてくれた。

誰かがちょっとだけ、誰かを気にかけてみる。

わかっているようで、わかっていなかった。
やっているようで、やっていなかった。
壮大な現代の社会問題など解決不可だと匙を投げるのは簡単だ。
でも、私たちはすでにこの問題に取り掛かる術を持っているんだ。
そう気づかされた。

木村の姉、みどりちゃんを演じられた土居志央梨さん、本当に素晴らしかったです。

みどりちゃんを通じて脳に響いた広島ジャンゴのメッセージを、どうしても書き残しておきたいと思ったので観劇の記録として記しました。
この不出来なnoteも、時に読み返して自分の火付けにしたいとおもう。

長文、読んでいただきありがとうございました。





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