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読まれ理解されるために記しているのではないから夕方の吐息の数を消し続ける

誤解が生まれる、解釈が違う。そういうところ。
本人の被害妄想の強さもそれに比例して増減。
相手を理解する、相手の身になる、そんなことが可能なら平和しかない、豊かだ。
それを声高に主張する方がいる場合、そもそも私の身になって考えられているかどうかも壮絶に怪しい。ほぼ考えていない。結局は自分と似た人の身になって考えているのだから。そうでしょう?皆そうだと思います。性質の違う相手の身になって考えるなどという大層難しいことはできないだろうし、だからこそ孤立無縁に立たされたモノが煽って「早く見つけろ!」と強制したくなる気持ちはきっとあるのだろう。ちゃぽんの抑制たこ焼きお餅焼きサンキュー書けるの一兆倍たくあんとあんが党。言語のゲシュタルトも消えていくだろう。人は手を壁に貫通させ、山の配置を動かしている。
言語の配置だって変わる。相手の解釈要求などに応える暇もなく言語変換は起こる。
想像しい横たえた経緯にもまた呑まれた沙回のモルダバイトを天音の故にとばかりに呆気なく「はい」と言う。たんこぶのコブラツイスト。ハバネロのクーリングオフ制度。敵将、パルメザンチーズ!何事ゆえに?美味い。そこが己が眼差し。今日の見方は明日の異方となる。

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