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荒れ狂うTweet集めたのみ

長年私を見てくれている心理士さんは、「アウェイに行く必要はない。自分と価値観や雰囲気など気が合う人をネットで集めるところから始めると良い」と。


実際に生身の私を何度も見てきて、そういう判断してくれてる。


生身の私を見て私の状態を直に何度も観察してる人の言葉が一番正確な判断だと思わない?


アウェイには4回は出向いた。結果は全ての回で虚無が助長され、帰りのバスで毎回泣く羽目になった。


空白のなにかが埋まらない状況でアウェイに行くということは、分かりきっている大敗を敢えて経験しわざわざ虚しさを助長させに行った上に何のメリットもなかったと結果を見なさいと言っているに等しい。


場面緘黙症がある。
その場所に出向いてもうまく行かないことも含めて私のせいだけではない。


それでもたった一人で、まるで人種としての価値観が違うかのような集団に4回も乗り込んでいった。虚無が増え、音楽鳴り響く空間でもハッピーどころではなく、むしろただの騒音でしかなく、不安定な状況でも誰も助けに気やしない。


そんな感じでアウェイに行ったことによって何のメリットもなかった。


そんな私に、今度はまた別のアウェイに向かって何のメリットをない経験をして、ただ悲しい虚しい悲しい虚しいの連続ループを経験してあぁ虚しいだけの人生素晴らしいなと思えたらいいけどね。


私の対人面に関する行動基準の根幹には「デキる人間への強烈な不信感」が定着してる。
その状態で人と会うから自分と世界が違うアウェイなんて所に行ったら最悪な結果で終わるのは目に見えてる。


心理士からは、まず自分と同じ境遇とか似た性格の人を見つけ友達を作り直すことが先と言われた。


「お前虫より嫌いなんだよお前虫以下だし動物以下だしお前の唯一自慢なのって知能だけだろ?なぁはやくシネヨ」って表情に出てる人に会いたくて仕方ない頭のおかしい人ってこの世にいるのかな。


世間では私が何とも思わないことに過剰に怒る人がいる。だがそれは逆も然りで、私が思い詰めるほどのことは他人にはどうでもよいことだったりする。


生身の私を見続けてくれた人の言葉に勝る説得性はない。


他人から大切にされなかった経験を長期に渡り経験しかつその環境から逃れる術を開拓できなかった人は、自分を大切にするということが分からない。だからコケ続ける。
それでもコケ続ける苦痛を喜べというなら言った本人も同等のレベルでコケ続けること。
相手に言った言葉は自分にも適応される。


本当に大事な人ならばすぐに会えるようになり、本当は会う必要もない人に会う度に辛く耐え難い心身の状況下に置かれていく。
素晴らしい感情体験ができる。


くだらないと感じる体験を9.5割にあげると、私の感覚に近づく。それに耐えること。これもまた素晴らしい体験のはずだ。


10年間殆ど人とまともなコミュニケーションを取らない状況を作った結果、何か超越できたのだろうか。
無人島で何十年も一人で生活した人の境地にほんの少しだけでも近づけたのだろうか。
価値観が違う人との会話がどれだけコスパが悪い上に自分の体調が悪くなるだけであるかを知るきっかけにはなった。


会話をするとなぜか私がいつも疲れている側になる。これは本当におかしい。相手が全面的に疲れるべきだ。


全部記録されていくから、やらかしたモラルの程度にもよるけど「それが許される私って可愛い」は、後々通用しなくなる場合があるので、今回は面白で済めばいいねというところ。


論外なアカウントはともかく半年〜1年以上自分の言葉や動画や写真や音声などでの発信が何もないアカウントも一時利用停止処置するルールを作ってほしい。結局残ることができないアカウントは続々とでてくるだろうと思う。

どんな界隈に属そうが【相手の意図に操作されない】感覚が染み付いている間は、結果的に有利になることは目に見えている。
相手の考え方がどうこうではないのだ。
要は【自分が相手に影響されることはない】ということなのだ。これを変えないので、誰と会おうが何をしようがシチュエーションを変えて素晴らしい結末を辿る。

謙遜も自慢も同じエネルギー。
自分を特別視したい欲の裏返し。
これは生育過程を考えれば不自然なことではない。歪んだ過程で育ったならば、ごく自然な感情と振る舞い。

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