僕が人生で一番下手に笑った日

皆さん、こんにちは。しがない一般人です。
本当に私事ではありますが、先日僕の祖父が亡くなりました。
約23年ほど生きてはきましたが、僕は死と無縁な日々を送ってきました。死とは漫画やドラマなどのイベントであり、ゲームにおけるゲームオーバーのようなもの。そんな記号的な「死」しか知りませんでした。
しかし、そんなある日
実際に言葉を交わした
実際に一緒にご飯を食べた
実際に笑い合った
そんな身近で生きていた人間が、消えてしまった。初めて死の当事者になった今の僕の気持ちを整理するために筆を取りました。
正直文章はぐちゃぐちゃです。自己満足です。
でもきっと、この気持ちを時間というもので風化させてはいけないと思い、ゆっくりではありますが、書き記していこうと思います。

あと、先に言っておくと僕はこの記事で誰かに同情なんてしてほしくなくて、皆さんの人生にこんな後悔を残さないようにして欲しい。死というものはなんなのかと考えて欲しい。そんなきっかけになれればいいと思っています。

まず僕が祖父の死を知らされたのは、電車を降りた時でした。その日僕はリハビリをしている祖父へお見舞いに行く予定でした。
いざ最寄駅に降りて家族間のLINEを見ると、短い文で「亡くなった」とだけ書かれていました。
僕はそれを見た時「ドラマかよ」と思いました。これは死という現実を受け入れられないことからくる現実逃避ではありません。
正直に話すと僕はお見舞いを面倒に思っていたんです。最低ですね。
おそらく頭の奥では「また会えるから」と考えていたのでしょう。
だからその重い腰が上がらず、やっと上がった所でこの知らせ。なんて間が悪い。
ちょうど勉強しようと思っていたのに親に勉強しなさいと言われたくらい間が悪いです。

いつでも会えるとたかを括っていた青年。
いざお見舞いの日にやってきたら道半ばで亡くなったと連絡を受ける。病床で戦う祖父の生きていた顔を見ることができずに駅のホームで絶望する。

要素だけ書き出せばフィクションかと疑ってしまうくらい完璧なんですよ。
今こんなシナリオ出したら「ありきたり」「ご都合展開」とヤジを飛ばされるでしょう。
でもこれはどこまでもリアルなんですよ。
ノンフィクションであり、主人公は僕です。
その時の僕は焦っていたんでしょうね。
病院にいないと会えないのに間違えて祖父母の家を訪ねていたんですから。
その時の天気がむかつくほど快晴でね。
13時あたりだと思ったんですけど雲一つない綺麗な青空なんですよ。気温のせいかわからないんですけど口が乾いて仕方なかったけど、何故か何かを飲みたいって気持ちはわかなくて、ただ急ぐことしか頭になくて。動揺していたんだと思います。
今急いだ所で何も変わらないのに。
今更焦った所でまた祖父の生きている姿を見れるはずがないのに。
笑っちゃいますよね

そんなわけで少し遅れて病院に到着したら祖父はもうベッドの上で何も言わなくなっていました。
あの時、僕は初めて「死んだ人間」を体験しました。
不気味なほど美しく真っ白で、まるで剥製か何かのようでした。手を触っても脈はなく、当たり前ですがなんの反応もありませんでした。数時間前までこれが自分と同じ生命体だったのか疑ってしまうほど、死という境界線は大きく深いもので恐ろしくて気持ち悪いものでした。

それまで僕は、死とは悲しみのシンボルだと思っていました。涙が出て、嗚咽して、何も考えられなくて耐えられないもの。
そんなものかと思っていました。
でも違うんですね。
死の後に残ったのは罪悪感と自己嫌悪でした。

もっと自分に出来ることがあったのではないか
今の自分に彼の死を悲しむ権利があるのだろうか。

悲しいという感情で終わればどれほど楽だったか。涙を流すだけでこの感情に整理をつけられればどれほど良かったものか。
祖父の姿を前に僕は、声をかけるでもなく、涙を流すわけでもなく、ただじっと彼の顔を見ることしかできませんでした。

涙を流せば悲しいのか
悲しいから涙を流すのか
ならば

涙を流せない今の僕はなんなのか

そんなぐちゃぐちゃがずっと頭の中で渦巻いていました。
もし、過去の僕が献身的にお見舞いに行っていたら胸を張って祖父の死を受け入れられたのか。悲しむことができたのか。
結果はおそらく同じでしょう。
それくらい時間というものが、僕の心を複雑に変えてしまいました。
いいや、違うな。
僕程度の人間が「死」を受け入れるのにはまだ若すぎました。それくらい死とは難解なものなんだと思います。

それから色々な人が病室や祖父母の家にやってきました。僕よりも長く生きている大人達ばかりで僕は一番年下でした。
でもみんなの表情は一緒で、気丈に冷静で、でもどこか強がっていて、祖父が死んだことなどなかったかのように笑顔を貼り付けていて、泣き崩れるような記号的な悲しみを表現している人は誰もいませんでした。

そんなどこか異質で気持ち悪い空気に当てられて、僕も祖父が死んだことなど覚えていない顔で笑っていました。
うまく笑えていたかは分かりません。
上手な大人の演技ができているかは分かりません。
ただ一つ言えることは、あの日の僕は間違いなく人生で一番最悪な状態でした。

そんな、涙を流せない僕が、祖父の告別式の前夜に今更になって記号的な悲しみがやってきました。この記事を書いている今この瞬間にです。きっかけは祖父が持っていた一つの手紙でした。遺品整理ってやつですかね?その時出てきたもので、内容は祖父の兄の死を伝えたものです。
歴史に疎いので正確には分からないのですが、内容から察するに戦時中に書かれたものなのでざっくり概算しても70年以上前のものです。
内容としては、軍艦武蔵に工作員?として乗り込んだお兄さんは他国に襲われて逃げきれずに死亡した。といったものです。正直手書きで達筆な感じで昔のものだから読みづらくてうまく読めなかったんですけど最後の文字だけはしっかり読み取れました。
それは「お兄さんのぶんまでしっかり長生きしてね」というものです。
その文を読んだ時、僕の思考は一気に加速しました。喉の奥から何かが飛び出してきそうな感覚がしました。

だって、兄の意思を継いで80数年必死に生きた祖父の命が終わったことが、他人事とは思えなくてなんか悔しくて悲しくて、なんかわかんねえけど目の前がぐちゃぐちゃなんだよ。
多分当時10歳あったかどうかの祖父がこの手紙読んだ時の気持ちを考えるともう涙が止まんねえのに隣でばあちゃん寝てるから声も上げられなくて苦しくて仕方ないんだよ。
そんな生きることを誰よりも望んでいたじいちゃんが死ぬ間際にどんなに辛いものか考えたらもう文章が合ってるかどうかなんてどうでもいいくらい頭の中がぐちゃぐちゃなんだよ。あん時の馬鹿な自分ぶん殴ってでも病院に連れて行きたいって今思って仕方ないんだよ。
それでじいちゃんの死が変わるわけじゃないさ。現代の医療を持ってしても死の運命を変えることはできないさ。
でも生きなければならない苦しみを背負った残されたじいちゃんの気持ちが少しでも楽になるならこんな鼻水だらけできったねえぐちゃぐちゃな顔いくらでも見せてやるっていってんだよ。
だからお願いだよ
そんな穏やかな顔で眠らないでくれよ
また話してくれよ
また好きなもん食ってくれよ
また俺と会ってくれよ
だからお願いだよ
俺を残していかないでくれよ
俺はあんたの死を背負って生きていけるほど立派な人間じゃねえんだよ

すみません、なんかもう感情のままに書いちゃって読みづらいですよね。
ただこれを通して、皆さんに伝えられることは過去の自分を恨まないために今を一生懸命生きて欲しいんです。僕みたいに。
今あなたが生きている時間は、過去に誰かが生きられなかった時間なんです。
今を生きる僕らは、過去に生きた彼らのぶんだけ生きなきゃいけないんです。
君たちはどう生きるかなんて生ぬるいんですよ。僕達は何が何でも生き抜かなくちゃいけないんですよ。後悔を一切残さずに毎日を送ることは難しいです。
でも過去の後悔はおそらくいつまでも呪いのように僕らに付き纏ってくるものです。
だからせめて過去の自分を少しでも好きになるように胸を張って涙が流せる人生を僕は送りたい。毎日最高に笑えるように全力に生きたい。僕はそう思いました。

では、明日の告別式は朝早いのでこのあたりで筆を置きます。
こんな長くて感情を一方的に無根拠に吐き出した記事を読んでいる人は少ないと思いますが、ここまで読んでいただきありがとうございました。それじゃあ

おやすみ

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