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ノート滅びず

飛びつくようなサッとした感覚だった。夏が終わり、秋を迎える頃に出逢った錯覚に釘づけになっていた。すでに紅葉は、紅葉を迎え、愛する人は去っていった。歳を重ねるごとに、幻影の形は、弱さを称え、花ひらく。まるで、言葉で話したことが現実になるかのように。最近になって、
ラナ・デル・レイ
『Did you know that there’s a tunnel under Ocean Blvd』
を頻繁に聴くようになった。その姿は懐かしき「」だった。
彼女の曲は、何だか寂しげに映る悪魔のような感じがする。その姿は一枚のアルバムに収められている。震える情景は、よろめいた姿をしていて複雑な何かが過ぎ去りし日に飛び立った「」を高みに挙げたように感じる。
まるで、僕だけが取り残された天使のような描写であった。
体が痺れだし、音楽だけが自分の鼓動と振動しているようにも思える。一方で、ハートをくれた人は次々と生まれ変わり、飛びついた心臓を突き刺すように、新しい人生を始める。夢は、一向に止まることを知らず、ジグザグ模様を描き、時には回転して、更には踊り続け、果てのない旅路を歩く君の夜を引き裂いた。その様子を、花や草木はしっかりとみている。野心家たちの休日に咲いた、爪楊枝で引っ掻いた傷が煌めきを増して、すべてを放っていた。男女の違いに、逢引した夜が「交差点」の隅で、涙を揺るがし、幼い頃にお祈りした教会を思い出す。その教会は、もうないそうだ。チグハグな幾何模様を呈して、僕は駆けていく。その瞬間は、花がたくさん咲いていて、掴み取っては消えていく「好奇心」の舞踏会のように、広いホールだった。そのまま上昇していく逢引の交差のように。時には、夜が終わらなければ良いと思うことすらあった。
希望と叡智が入り混じった、「永い夢」の片隅で、僕は叫んだ!
終わらないでくれ!!!」と。
その時だった、頭の中に、ものすごい勢いで、花束の模様や星の欠片が降ってきた。ここは、どこだ!とうなされる夜。
僕と私の間に、アルキメデスの螺旋のように、響き渡る橋が出来た。その集団は、恋とは程遠いほどに、現実を知っているのに、その軌跡があまりにも速いので、「舞踏会」が多々、存在するようなペアを成してした。しかし、この文章は、1人称での表現をやめず、それどころか、「永い夢」にパッーーーーと忍び、飛び込む姿であった。存在の意義が、幼い頃の僕と私を取り巻いて、シーソーのように上下している。揺らぎの形は、ゆっくりとした時もあれば、新しいシャポン球を手に入れたときの、静かな喜びにも、子どもの歓喜にも似ていた。そして、僕は夢の形を、古びた剣で砂漠の城に突き刺したような感覚になって、狂っていく日曜日の風に幻が駆け抜け、怪しさを嗅ぎつけていた。見上げると、星の程遠い方に、舞い上がっているバルーンを見た。その瞬間に、100年くらい待ち続けた君に逢った気がして、大きく泣いた。二人は、すれ違っただけなのに、何故か時は止まった
ラナ・デル・レイ公式
https://youtu.be/C2e0H6MUWyU?si=NX2yoxpBrkrAhpGG

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